トランプ「パウエルを解任する」
from 2025-04-24
2025年4月23日 トランプ氏、FRBのパウエル議長は「解任しない」 前言を撤回 - 日本経済新聞
2025年4月23日トランプ氏はFRB議長解任しないで 欧州中銀総裁(AFPBB News)|dメニューニュース(NTTドコモ)
2025年4月22日 https://jp.wsj.com/articles/the-fire-jerome-powell-market-rout-c20908fa
ドナルド・トランプ米大統領が、再びパウエル議長を攻撃し始めたことを受けて、米国株とドルは急落し、米長期国債の利回りは上昇した。
2025年4月21日 https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/114376239725335883
“Preemptive Cuts” in Interest Rates are being called for by many. With Energy Costs way down, food prices (including Biden’s egg disaster!) substantially lower, and most other “things” trending down, there is virtually No Inflation. With these costs trending so nicely downward, just what I predicted they would do, there can almost be no inflation, but there can be a SLOWING of the economy unless Mr. Too Late, a major loser, lowers interest rates, NOW. Europe has already “lowered” seven times. Powell has always been “To Late,” except when it came to the Election period when he lowered in order to help Sleepy Joe Biden, later Kamala, get elected. How did that work out?
2025年4月18日 トランプ氏、パウエルFRB議長解任をウォーシュ元理事と協議=報道 | ロイター
2025年4月21日 パウエルFRB議長解任までやったとしてもトランプの「利下げ」は悪手で逆効果|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
1970年代にも同じことが起きた。当時のリチャード・ニクソン大統領は「1972年の大統領選で再選を果たすため」、アーサー・バーンズFRB議長に金利を低く抑えるよう圧力をかけた。
その結果もたらされたのは、制御不能のインフレだった。1979年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは利上げに転じ、1981年には金利は20%に達して経済は景気後退に陥った。
o4-mini-high.iconChatGPT Deep Research.icon1970年ニクソン政権のFRB利下げ圧力の背景と影響、トランプ氏によるFRB批判との比較
ニクソン政権下(1970年前後):FRBへの利下げ圧力の背景と経緯
1969年に大統領に就任したリチャード・ニクソンは、当初インフレ抑制のため金融引き締めを支持しました。しかし景気減速により1970年には失業率が6%前後に悪化し(1969年初めは3.3%と低水準でした)  。ニクソンは**「インフレで選挙に負ける話は聞いたことがないが、失業や不況で多くの選挙が敗北している」**と述べ、景気後退や失業増加による選挙への悪影響を強く警戒しました 。ニクソン政権はインフレより失業対策を優先し、1970年1月に友人でもある経済顧問アーサー・バーンズをFRB議長に指名しました  。
バーンズ就任時のインフレ率はすでに約5%と高めで、本来FRBは引き締めが必要な状況でした 。しかしニクソンは就任式でバーンズに対し**「独立性は尊重する。しかし最終的には私の見解に沿う決定をしてほしい」と冗談めかして発言し(バーンズは苦い表情を浮かべた)、公然と低金利・金融緩和への期待**を示しました 。
独立性を尊重してない発言基素.icon
実際にはこの言葉通り、ニクソンは裏でFRBへの圧力を強めていきます。バーンズ自身もインフレを嫌う人物でしたが、ニクソンとの個人的な関係や政治的圧力によって金融緩和に傾いた可能性が指摘されています 。
ニクソンは1972年の再選を最優先課題としており、景気刺激のために積極的な利下げを求めました。例えば1971年12月、バーンズはニクソンに直接電話し**「割引率を4.5%まで引き下げました」と報告し、ニクソンは「グッド、グッド、グッド」と満足気に応じています 。バーンズは電話で「さらに景気拡大を後押しするため」と利下げの意図を説明し、翌週のFOMCでもより積極的な緩和策を講じるよう促す考えを伝えており、ニクソンは「尻を叩いてやれ」と後押ししました 。当時、失業率が6%に上昇したことでニクソンは1960年選挙敗北(不況下での敗北)の悪夢を思い出し、焦りを強めていたとされています 。ニクソンは腹心のシュルツ予算局長を通じてもバーンズに圧力をかけさせ、「時間がない。景気を早く軌道に乗せたい」**と強調していました  。
さらにニクソンは、必要とあればFRBの独立性を法律で制限することも辞さない姿勢を見せました。バーンズは当初「インフレ下での利下げは誤りだ」と主張していたものの、ニクソンが**「FRB法改正で独立性を削ぐ」**といった立法措置を仄めかすに至り、バーンズはついに折れたと伝えられています 。
この判断はまともなのか?民意に任せるべきでは基素.icon
大統領視点で見ると、経済ガチャがある
たまたま自分の時に景気が悪いと支持率が下がる
民衆が作用を理解できていないのが問題
衆愚政治
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相違点
衆愚政治は、政治そのものが感情的・非合理に支配される体制や傾向を指す。
あなたの例は、むしろ民意の評価メカニズムの欠陥や制度の不条理を述べており、「ガチャ要素」や「誤認知」がテーマ。
「民衆が無知なまま政治判断する」という点では衆愚的。
しかし、衆愚政治という体制・政治形態そのものとは言い切れない。
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景気は時の政権ですぐ変わるものじゃないのだからそこは差っ引かないとダメじゃない?
それができないのは衆愚政治ではないの?
GPT-4o.icon 「景気が悪い=政権が悪い」と短絡的に考える民意が政治を左右するなら、それは衆愚政治の症状。
経済ガチャ現象は一時的・状況依存(例:たまたまリーマンショックに重なる)。
• 衆愚政治は、大衆の無知・感情が恒常的に政治を支配する構造的問題。
このようにニクソン政権下では、大統領が裏舞台でFRB議長に対し強い影響力を行使し、金融緩和を事実上主導しました。
当時の政策効果とその後のインフレ・信用への影響
ニクソンの圧力の結果、FRBは1971~1972年にかけて異例の金融緩和を行いました。1970年から1972年7月までにフェデラルファンド金利は約4%ポイントも低下し、長期金利(10年国債利回り)も2.6%ポイント低下しています 。マネーサプライも拡大傾向を強め、1972年の実質GDP成長率は前年度比+**5%超(6%台との推計も)**と景気は急回復しました  。この景気拡大に支えられ、ニクソンは1972年11月の大統領選挙で圧勝を収めます 。
しかし、この選挙直前の過剰な景気刺激は深刻な副作用をもたらしました。抑制されていなかったインフレ圧力が蓄積し、賃金・物価統制(1971年8月導入)は一時的な効果しかありませんでした。統制の緩和後、1973年の消費者物価上昇率は9.6%、1974年には11.8%に達し、二桁インフレが現実化しました 。これは第一次オイルショックの供給面要因も重なりましたが、根本には過度な金融緩和による総需要拡大がありました 。インフレ高進とともに1973~75年には深刻な景気後退(スタグフレーション)に陥り、失業率も再び上昇します 。結局、1970年代後半まで米国経済は「高インフレ・低成長」に苦しみ、これを完全に収拾するには1980年代初頭のボルカー議長による大幅利上げまで約10年を要しました  。
この間、ドルの国際的信用も揺らぎました。米国の高インフレと経常赤字の拡大でドルへの信認が低下し、各国がドルを金と交換しようと殺到したため、ニクソンは1971年8月に金とドルの交換停止(いわゆるニクソン・ショック)を決断します 。この決定は戦後のブレトンウッズ体制(固定為替制)の崩壊を招き、主要通貨は変動相場制へ移行しました。ドルは1971年と1973年に相次いで切り下げられ、米国の通貨政策への国際的な信頼は大きく損なわれました。国内的にも、インフレ高進に対処できなかったFRBは信用を落とし、独立性と政策運営への批判が高まりました。その後、1978年に雇用と物価安定の二重責務を定めた Humphrey-Hawkins 法が制定される一方、FRBは教訓を踏まえて独立性の確保とインフレ抑制を重視する方向に舵を切ることになります。実際、1979年就任のポール・ボルカー議長は強い独立性の下で高金利政策を断行し、ようやく長引いたインフレを沈静化させました 。
要するに、ニクソン政権下で政治圧力に屈した金融緩和は、一時的に景気と政権の人気を押し上げたものの、その代償として深刻なインフレと経済混乱を引き起こし、米国の通貨信用と中央銀行の信頼性にも長期的なダメージを与えたのです。
トランプ前大統領によるFRB批判と利下げ圧力(2018~2024年)
ホワイトハウスでFRB議長(右)と会話するアメリカ大統領(左)。トランプ政権では、大統領が公開の場でFRBの金融政策に言及する異例の事態が相次いだ。
ドナルド・トランプ前大統領(在任2017–2021年)もまた、FRBへの利下げ要求を繰り返した点でニクソンと共通しています。しかし手法は公然かつ前例のないものでした。トランプ氏は自ら任命したジェローム・パウエルFRB議長の金融引き締め姿勢に不満を抱き、就任後まもない2018年から記者会見やSNS(Twitter/X等)でたびたび批判を表明しました 。たとえば2018年8月には**「もっと(金利引下げで)助けが欲しい」「Fedの政策には満足していない」と発言し、利上げ停止を促しています 。また2019年に入ると、利下げしないパウエル氏を公然と非難し、「我々の敵は誰か、パウエルかそれとも中国の習主席か?」**とTwitterに投稿するなど、異例の攻撃的言動も見られました  。
特に2019年後半、景気減速の兆しや米中貿易摩擦が問題になる中で、トランプ氏は**「ゼロ金利」や「マイナス金利」ですら主張し、欧州中央銀行(ECB)並みに大幅利下げすべきだと圧力を強めました  。同年8月にはパウエル議長を「(中国の)習主席よりも大きな敵かもしれない」とまで呼び 、12月には利下げしないFRBに業を煮やしてパウエル氏の解任や降格を検討していると報じられました。実際トランプ氏は**「私が彼を辞めさせたいなら、すぐにでも辞めさせられる」**と述べ 、パウエル議長を任期途中で排除しようとする意向すら示唆しました。
もっとも、FRB議長の任期(4年)は法律上「正当な理由がなければ罷免できない」とされており 、大統領が政策不一致を理由に議長を更迭するのは前例もなく違法の可能性が高い行為です。パウエル議長自身も「任期途中で辞任要求されても応じない」「我々の独立性は法律によって担保されている」と明言し 、**「政治的な圧力に決して左右されず、常に国民経済全体の利益だけを考えて決定を下す」**と表明しました 。またFRBの独立性は議会にも広く支持されており、パウエル氏は「ワシントンや議会で独立性の重要性は広く理解・支持されている」と指摘しています 。このように、公然と批判される中でもFRBは独自の判断を貫き、当時予定していた利上げ方針(景気拡大に伴う段階的利上げ)を大きく変えませんでした 。
実際、パウエル議長率いるFRBはトランプ氏の圧力には屈せず、2018年は計4回の利上げを実施しました。その後、2019年後半には世界景気の不透明感や貿易戦争の影響を踏まえて**3回の予防的利下げ(いわゆる「保険的利下げ」)を行いましたが、これは経済指標に基づく判断であり、大統領の要求に直接応えたものではないと説明されています 。トランプ氏が望んだような大幅利下げや量的緩和再開は、景気後退局面である2020年3月(新型コロナ危機)まで実現しませんでした。皮肉にも、パンデミック対応でFRBが超低金利政策を復活させた際にはトランプ政権もこれを支持しましたが、同時に巨額の財政刺激策が実施された結果、2021~2022年にインフレ率が一時9%を超える局面を招きました 。このインフレ高進に対し、パウエル議長は2022年以降急速な利上げに転じて対応し、インフレ率は2023年末までに2%台まで低下しています 。トランプ氏は「事実上インフレはないのに利上げするのはおかしい」**と2023~24年も批判を続けましたが 、結果的にFRBは独立性を維持してインフレ抑制を優先し、米国経済はスタグフレーションを回避することができました。
2024年時点でもトランプ氏はFRBやパウエル議長への批判を続けています。自身が大統領を退任した後もSNSや演説で**「パウエルの任期満了まで待てない(早期に交代させるべきだ)」** と発言し、次の機会に議長を差し替える意向を示しています。また**「欧州に倣ってもっと早く利下げすべきだったし、今すぐ利下げすべきだ」**との主張も繰り返しています 。このようにトランプ氏は異例の公開圧力と議長解任示唆という手法でFRBに介入を試みましたが、現時点でFRBの政策運営は法律上の独立性と議会の支持によって概ね守られているといえます  。
ニクソン時代とトランプ時代の比較:主な相違点
政治的・制度的な環境の違い(FRBの独立性など)
1970年代前半(ニクソン政権): FRBの独立性に関する法的枠組みは現在と同じく存在していましたが、当時は大統領が水面下で金融政策に介入することが珍しくありませんでした。ニクソンは必要であれば法律改正でFRBの権限を制限すると示唆するほど強硬で 、実際にバーンズ議長もその圧力に屈しました。メディアや国民も大統領とFRBの確執を詳しく知る術はなく、大統領側近との密室協議や録音テープから後年その実態が明らかになったのです 。またニクソンは自らの経済ブレーンであるバーンズを指名し、大統領とFRB議長の個人的関係が政治介入を容易にする面もありました。総じて、この時代はFRBの独立性が事実上脆弱で、大統領の影響力が強い環境でした。
2018~2024年(トランプ前大統領): 現代では、1951年の財務省・FRB協定以降培われた中央銀行の独立性が広く尊重され、政治家が露骨に金融政策へ介入することはタブー視されています。FRB法上、議長を含む理事は任期が長く(14年)「正当な理由がなければ罷免できない」ため、大統領から一定の距離が保たれています  。トランプ氏のように公開の場でFRB批判を行い利下げ圧力をかけるのは異例中の異例であり、議会与野党からも「中央銀行の独立を損なう」と懸念の声が上がりました。もっとも法律上は大統領にFRBの金融政策決定権はなく、パウエル議長も議会証言や記者会見で**「政治的要請には左右されない」**と明言して対峙しました 。現代の制度環境では、表面的にはFRBの独立性が維持されており、政治介入に対する牽制が強い点が1970年代との大きな違いです。
大統領の意図と手法の違い
ニクソン大統領: ニクソンの最優先課題は1972年の再選であり、そのために景気を選挙までに好転させることが狙いでした 。彼は「失業こそが最大の敵」であり、インフレは後回しにできると判断して、裏舞台でFRBに圧力をかけました 。
手法としては、密接な個人関係を利用して非公開の場で説得や脅しを行うというものです。
バーンズ議長に対しては面と向かって「自主的に私の方針に従ってほしい」と冗談めかして釘を刺し 、裏では電話や会談で具体的な利下げ要求を伝え、果ては立法による介入も仄めかしました 。つまり**「密室での同調圧力+人事・制度面の威圧」**がニクソンの手法でした。
その一方で表向きには「FRBの独立は尊重する」と述べるなど、建前上はFRBの権威を損なわないよう装っていた点も特徴です 。
トランプ前大統領: トランプ氏の意図は、公言のとおり**「低インフレ下でさらなる景気拡大と株高を実現する」ことにありました 。彼は自身の経済政策(減税や貿易政策)の成果を最大化し、2020年の再選や自身の評価向上に繋げるため、FRBにも協調してほしいと考えました。またトランプ氏は低金利そのものを好み、欧州や日本の超低金利政策と比較して米国の金利が高いと貿易やドル高で不利になるとの持論も持っていました 。手法の面では、Twitterや演説で名指しでFRB議長を批判し圧力をかけるという、これまでの米大統領にない公衆へのアピール型の介入を行いました 。さらに「解任する」「自分の言うことを聞かなければすぐ更迭できる」と公言するなど、直接的な威嚇も加えています 。要するに、「大衆を巻き込んだ公開批判+解任カードの示唆」**がトランプ氏の手法でした。この露骨さは歴代でも際立っており、ニクソンの水面下の工作とは対照的です 。
水面下でやるよりは卑怯じゃないな基素.icon
経済状況の違い(インフレ率・失業率・成長率)
1970年前後: ニクソンが圧力をかけた当時、インフレ率は5~6%と高止まり傾向にあり、ベトナム戦争の支出などもあって物価上昇圧力が強い局面でした 。失業率は1970年に景気後退の影響で6%台に達し、景気は停滞気味だったものの、潜在的にはインフレと財政赤字のリスクが高まっていました 。つまり**「高インフレ・高失業」**という政策運営が難しい状況下で、ニクソンは短期的な失業改善を優先して金融緩和を要求したのです 。結果的に景気成長率は1972年に急上昇し(実質GDP成長率+5~6%台)、失業率も1973年には5%前後まで低下したと推測されます。一方で、賃金・物価統制が切れるとインフレ率は1973年9.6%、1974年11.8%へ急騰しスタグフレーションに陥りました 。景気回復は一時的で、その後に深刻なインフレと景気後退が訪れた点が1970年代前半の経済状況です 。
2018~2019年: トランプ氏が主にFRB批判を行った2018~19年当時、インフレ率は約2%前後(FRB目標付近)と安定しており、むしろ低インフレ傾向でした 。失業率は3.5~4%程度と50年ぶりの低水準で、米経済は減税効果もあって好調を維持していました。実質GDP成長率は2018年に+2.9%、2019年も+2.3%程度で、景気過熱とまではいかないものの潜在成長率を上回る堅調さでした。言い換えれば**「低インフレ・低失業・適度な成長」**という理想的な状況に近く、本来FRBが利下げを急ぐ必要は小さい環境でした。それでもトランプ氏はさらなる景気拡大や株価上昇を望み、利上げ停止と利下げを迫ったのです 。この点で、既に過熱気味の経済で無理に刺激を加えたニクソン時代と、ほぼ完全雇用状態で追加刺激を求めたトランプ時代という違いが見られます。なお2020年にパンデミックが発生すると経済環境は一変し、FRBはゼロ金利に復帰、財政出動もあって2021-22年にインフレ率が一時9%に急騰しました 。しかしこのインフレは供給制約や財政刺激による部分が大きく、1970年代のように「政治圧力による金融緩和」が直接招いたものではありません。FRBは2022年以降迅速な利上げで対応し、2024年時点でインフレを概ね収束させています 。トランプ氏は2023年時点でも「事実上インフレはほとんどゼロだ」と主張して利下げを求めましたが 、実際には直前まで高インフレと戦っていたという点で認識に隔たりがありました。
市場・国際的な反応の違い
ニクソン政権による介入への反応: 前述のように、ニクソン政権下ではFRBへの政治介入の詳細が公には知られていなかったため、市場は直接的な反応を示しませんでした。しかし政策結果としての過剰流動性供給とドル不安には即座に反応しました。1971年には各国がドルを売り浴びせて金との交換を要求し、ドル危機が発生しています。その結果の金本位制停止(ニクソン・ショック)とドル切り下げは、国際金融システムに大きな混乱をもたらしました 。またインフレ加速により**長期金利は急騰(債券価格は暴落)**し、1973-74年の株式市場も大幅下落しています。投資家はFRBがインフレを許容したことで将来の通貨価値低下を織り込み、米国債の利回り上昇(いわゆるボンドビジランテの台頭)やドル離れといった形で市場の懲罰を与えました  。結果的に1970年代後半にはドル防衛とインフレ退治のため、FRBは大幅利上げを強いられ、失われた信用の回復に努めることになりました 。
トランプ氏の圧力への反応: トランプ氏がTwitter等でFRB批判や議長解任に言及するたびに、金融市場や経済専門家は中央銀行の独立性へのリスクとして敏感に反応しました。例えば2018年末、トランプ氏がパウエル議長の解任を検討していると報じられると市場は動揺し、株価が急落したとの指摘があります(実際には同時期の利上げや米中摩擦も影響)。また2025年4月にトランプ氏が「パウエルの任期終了を待てない」と発言し利下げを要求した際には、米国債の長期金利が上昇し、ドル指数が3年ぶり安値に下落、株価も下落基調となりました  。投資家は「もし政治的理由で議長が更迭されれば、それは将来のインフレ加速シグナルと受け取られ、長期金利はさらに上昇しドルの基軸通貨としての信認も揺らぐだろう」と警告しています  。実際**「パウエル氏が解任されれば市場は暴落しかねない」との声も専門家から上がりました 。もっとも、トランプ氏の発言自体に市場が慣れた面もあり、2019年前後には「発言だけでは実際の政策は変わらない」として限定的な反応に留まる場合もありました** 。国際的には、米大統領によるFRB干渉は新興国の中央銀行介入に似ていると懸念され、米国が政治的に中央銀行を操作するなら投資家は逃げ出すとの見方が広まりました 。幸いにもFRBが独立性を維持したため最悪の事態は回避されましたが、もしトランプ氏が本当に議長更迭や露骨な介入を行えば、国際金融市場で米国への信頼が低下しドル安・金利急騰・株安という深刻な混乱を招く可能性が高いと見られています  。この点で、市場や国際社会が明確に反応しなかったニクソン時代とは大きく異なり、現代では中央銀行の独立性が揺らぐ兆しそのものが即座にグローバルなリスク要因と認識されるようになっています。
おわりに
1970年のニクソン政権によるFRB利下げ圧力の事例は、中央銀行の独立性が損なわれた場合の悪影響を示す歴史的教訓となりました。短期的な景気浮揚と選挙勝利の裏で、長期的には制御不能なインフレと経済停滞を招き、以後の政策運営に大きな代償を残したのです。 一方、トランプ前大統領による近年のFRB批判は、現代の制度的防波堤のおかげで実際の金融政策への影響は限定的でしたが、それでも市場や有識者から強い警戒を呼び起こしました。両者を比較すると、政治・制度環境、大統領の手法、経済状況、そして市場・国際的反応のすべての面で顕著な違いが見られます。ニクソン時代の経験からFRBの独立性の重要性が再認識されたことで、今日のFRBは「第二のバーンズ」になることを避けようとしています  。実際パウエル議長も歴史を踏まえ、政治圧力に屈してインフレを手放すまいと毅然とした態度を示しています。中央銀行の独立性は完全ではないにせよ、経済の長期的安定のためには政治から距離を置くことが不可欠であり 、1970年代と現代の対照的な事例はそのことを鮮明に物語っています。