この世界の片隅に
2016
https://www.youtube.com/watch?v=clpf5BXrpzc
オープニングでコトリンゴのテーマソングが流れるまでで既に良い 戦時下だが人々は生活をする。平穏が徐々に侵食されていく
だんだん配給が滞るようになる
そんな中でも日常の幸せはある
個人的な感情が相当入っている。祖母が呉在住で、広島弁を聞くと幼少期の時分に世話になった祖母を思い出す。明るくて優しい祖母だった。
確か祖母も工廠で働いていたはずである(女子挺身隊?)
終戦から80年が経とうとしている。子供の頃に戦火にあった人たちは殆ど亡くなった。もう全員死んでしまうだろう。記憶はアーカイブされ、追体験されなければならないと思う。我々は戦争を知らない世代だ。知らなければ同じ過ちを犯す。知っていても犯すのだから。
こうの史代さんの『この世界の片隅に』では、戦争中、戦時中という時代に、空気感やその場の雰囲気までを含めて、心を持ってくというタイムトラベルが出来るというような感じがあるかもしれません。その状況をただシチュエーションとして描くのではなく、それが本当はどうだったのか? その肌触りがわかるような形で描くということが、原作の時点からされていたわけです。それこそがこうのさんの『この世界の片隅に』という漫画の本質であり、いちばん他の作品と違う所だと思ったのです。 片渕:...この作品は、すずさんという個人が、見た事、体験した事なんです。
古峰さんや私などが航空史研究でやっているのは、伝聞とか回想とかを排除して、当時の一次資料のみに基づいて「実際にその飛行機はどんなものだったのか」を明らかにしていくということです。「この世界の片隅に」では、このやり方を生活全般に適用してみました。一次資料を集めて、「昭和18年から21年の生活って、一体どんなものだったんだろう」と調べていったわけですね。 例えば胸に付ける身許票(みもとひょう、しんきょひょう)というものがあります。名前や血液型を書いておくんですが、これは内務省が「こういうのを付けろ」と通達を出しているんです。だからいつから付けるようになったか分かるんです。
あるいは呉の街が、どんな順番でどの街区から順番に建物疎開(たてものそかい:空襲に備えて住人が引き払い、建物を壊して防火帯を作ること)していったか、また民家に一斉に迷彩塗装しろと指示が出たことなんかも記録が残っています。
呉市の月ごとに食糧配給についても記録が残っていますから、この月はなにが配給されて、なにが配給されなかったなんてことも分かるんですよ。
当時の新聞や雑誌の記事や写真も調べていくと面白いです。昭和19年の春先か初夏の新聞には「最近モンペを脱ぎたがる女性が増えて困る」と書いてあるんですよ。「暖かくなって衛生上よろしくないから脱ぎたがるんだ」というんですね。新聞は「決戦服だから着ろ」と書いているのだけれど、こういう記事が出るということは、実際のところ一般の人は「暖かくなったら、モンペは脱いでもいい」という認識でいたということですよね。そこで、我々は、戦争中ずっと女性はモンペをはいていたような認識でいるけれども、そうじゃなかったのか、と気が付くんです。 調べていくとモンペを履くというけれど、和服のモンペの場合もあるけれども、普通のズボンを履くことも多かったようです。モンペというけれど、実はズボンを履いていたんですね。
バケツリレーで訓練というような時はモンペ姿をしていたけれども、日常生活はそうじゃないんです。
体験した人の記憶も印象で改竄される
すずさんはフィクションの登場人物なんだけれども、現実にあったことを調べて組み合わせていく……というか、現実にあったことをきっちり描いていくと、そこにすずさんという人が確かに生きているという実感が出てくるんです。
ほんわかしたキャラクターのすずさん+日常 v.s. 兵器の暴力性の描写