VTuber
VTuber(に限らず昨今のライブ体験の価値を重視する流れ)というのは、この「発達したインターネットによる非同期コミュニケーション超便利」へのカウンター文化だ。
誰にでもRTといいねをもらえるネタ画像や秀逸な風刺をつぶやく
難易度が高い
コミュニケーションとしては形がボケる
(引用者注:対照的に)あなたのことを見ている人の中から2, 3人に反応をもらえるつぶやきは、比較して難易度は高くない。
https://gyazo.com/10a9baac3b76e3a04365b663e7e8dc67
https://youtu.be/QXKE21Ek0IE
https://youtu.be/CtGR2wpAzfU
@izumino: 2020年の振り返り記事…の格好ながら、VTuber業界を総括する行為そのものをメタに分析する問題提議になった記事です Userlocal調べVTuber数(多分)が13000人の時の記事
ジャンル論の機能不全
ファンは細分化した呼び方をしていない
身の回りではしようとされているが、自分も積極的にはやっていない(重要だと判断した時にはする)基素.icon
例えば、当のホロライブのタレントが今年の11月、「世界の投げ銭獲得金額トップ3」として日経新聞で記事化された際、取材を受けているのはタレント事務所の運営とはほぼ無関係なVRシステム開発者(バーチャルキャスト取締役のみゅみゅさん)だったという転倒が見られた(外部リンク)。...その激しいギャップの中で、みゅみゅさんが取材に応えて語ったのが、性別や年齢に関係なく、好きな見た目になれるのが魅力という「タレント性を求められないアバター利用者」の話だったのだ。
まるで性質の異なるものを同一の話題として報じられ、あたかも「アイドル事務所のトップランナー」が「一般のVRユーザー」と地続きであるかのような扱いは、VTuberファンを困惑させていた。それゆえ「アバターで雑談するだけで世界の投げ銭トップになれる」と言わんばかりのミスリードを生んだのも事実だろう。
本当は企業勢と個人勢のどちらにもトップランナーや中堅、中小、零細などの格差がつくられており、むしろその違いこそがファン層や文化圏を分けているとも言える。
例えばリアルのアイドル業界なら、単にアイドルの話題となれば商業アイドルを指していて、地下アイドルやご当地アイドルをあえて意識しないし、逆に「地下アイドル好きは商業アイドルへの興味があまりない」という文化の乖離もうっすらと存在している。
今のVTuber業界も、実態としてはジャンルが分かれはじめているのだが、依然として「VTuberシーン」というひとつの分野で括ろうとする意識が続いている。
その必然として生まれるのは、「自分の好き嫌いでVTuberシーンの範囲を決める」という態度だ。
現在の私たちが無自覚に「VTuberシーン」と総括する時、それは今や「バーチャルタレント」を主に指すことになると言っていい。
「イベント注力型のVTuberかどうか」というカテゴライズも有力だ。
YouTube配信量が少ないためにチャンネル登録者数などでその支持を測れないアーティスト
AZKi
有料イベント配信プラットフォームが提供するグループ
SPWNの運営もとのバルス
ねこますさんの2020年1月24日のVTuberの定義:VTuber アバターを活用したタレント
つまりタレントでなければVTuberではない
これは結構難しくて、なぜならYouTubeに動画を投稿する人は(特にタレントでなくても)全員YouTuberと呼ばれる。VTuberのTuberはYouTubeのイメージが強固に紐づいているから、むしろアバターを使ってYouTubeに投稿する人であるという認識が形成されすいだろう。実際そういうイメージがついていると思う。基素.icon
2018年、黎明期のタレントとアバター利用者の両方が牽引するシーンのイメージをそのまま引きずっているという指摘
ベン図は意味がわからない基素.icon
Virtual talentではないVTuberはなに?
本文で説明があんまりない
バーチャルな身体性
今の代表的なVTuberたちの身体はアバターと呼ぶに似つかわしくない、と個人的には感じている
VTuberによる世界観はとても抽象的で、電子も肉体も渾然一体に「バーチャルな身体」として語ろうとする。電子と肉体を区別しないから、モデルの「着替え」も安易に行いにくい。そうした了解があってもそのモデルを「アバター(本体のある分身)」と呼べるかは疑問なのだ。
これは初期には非常に良く感じた
キャラクターそのものであるというもの
一方でいわゆる中の人がそのままでることもある(特殊ケース)
この場合でも「私が中の人でした」とは発言されず、公然の秘密
例:御伽原、桐生ココ
また、視聴者の中には魂を知りたい人が結構いる
VTuberの名前でYouTubeを検索しようとするとサジェストで「中の人」などがでてくるので検索している人が多いということは明らか
アバターの方がVTuberより人口に膾炙する可能性がある
デジタルなミラーだから基素.icon
バーチャルタレントは文脈ごとにファンが異なるので、包括的な歴史の記述がなされていない
今は「コラボしそうな可能性のある範囲だけをVTuberの文化圏だと考える」という排他的な意識がとても高まっている状況にあるように思えるが、果たしてその既得権益層だけが勝ち残っていきそうな「VTuberシーン」とは、将来のVTuber文化に望まれているのだろうか?
VTuberの歴史の文脈で語られていないが、本質的なところは変わらないもの
12月時点のチャンネル登録者数は16.9万人で、「にじさんじ男性ライバーの上位を例外として男性VTuberが伸びるのは難しい」と言われるこの分野では、天開司さんやケリンさんに次ぐトップクラスのチャンネルだとも言える。
番組「22/7 計算中」はバーチャルアイドルのバラエティとしては最長の回数を重ねた(117週)
仮に「主なファン層で話題にならない、客層の異なるものは無視してよい」という民主的な基準が通用するならば、やがては「大手企業のタレント以外はVTuberとして取り上げない」という潮流を招くのと同じことになる。
主なファン層で話題にならないと歴史に組み込みづらいというのはあるだろう(話題にならないから)
また、自分が興味がないところまでフォローする素人はほとんどいないだろうからかける人がいないというのもある基素.icon
PanoraやMoguraのような専業メディアのライターじゃないと(でも)追いきれないんじゃないかな?
/vtuberは知っている人が書くように考えていたのだが、うまく盛り上げられなかった(かなり記事を書いてくれた方はいた) 2017年頃の「キズナアイに似ていればVTuberとして認知される」文化が、今は「メディアの報じられ方やコラボ関係を通じてVTuberの仲間として認められる」文化へと変化している、という指摘もできる。
元は二次元キャラクターで、声優もいる「VTuber可憐」や「VTuber言葉」がVTuberとして受け入れられやすかったのは、ネットトレンドの親和性や、「周防パトラと『ぶいおん!!』で共演した」などのコラボ実績に支えられていると言えるのだ(「バーチャル受肉したイラストレーター/クリエイター」がVTuberの仲間入りするのもこの傾向を持つ)。
ところでVTuberというジャンル自体、オタク界で流行しているように見えて、実際は「二次元オタク」からしても「顔出しのアイドルや声優のオタク」からしても違和感を根強く持たれており、その中間的な波長に合うタイプだけがハマりやすいという人を選ぶ性質がある。言い方はよくないが、これらは「オタク同士で毛嫌いし合う」ような関係が現実にあり、そのオタク内における好みの構造だけでも別に論じる価値がありそうなのだが。
ここの感覚はなんとなく言いたいことはわかるけど、定量的に議論できる根拠も、定性的に議論できる経験を持ち合わせていない基素.icon
基素.icon自身は二次元オタクで生々しさに抵抗感があったけどはまれた。個人というミクロで言えば、いつ、誰をみるかで超えていけるかも
そう考えると、VTuberシーンにも二次元とリアルのグラデーションはなるべく大きな振れ幅があったほうが裾野は広がりやすいはずで、意図して無視を続ける行為にも合理的なメリットが見当たらないのだ。
初期は小さかったからまとめて呼ぶのにメリットがあったが
今はそこそこ巨大になっているので細分化した方が外部流入のフックを多く持てる
というような主張かな?