Twitterでの発言は刹那的なので、責任は時限つきと捉えると適切な反応ができる
Twitterの発言に一喜一憂するのはあんまり生産的じゃないと思ったので理由を書く 主張と理由
Twitterの2年前の発言を掘り返されてもふつう、責任は持てない
理由
Twitterはその時何を思ったかを記述するUIになっている
熟考しなければ使えないのであればこんなに頻繁にツイートはしない
よく考えられていないツイートに責任をもつことはできない
よく考えていないものは発言できない世界は面白くないので、よく考えていなくても発言していいと思う
異論はあるかもしれないが、誤りがあっても議論ができる土壌があればたいていうまくいく。活発にアイデアをだすために、後者が重要だと考えている。
実態として、TLを眺めているとよく考えていないツイートのほうが明らかに多い
時間が経つと当事者意識が減衰する
何十億円も国費を費やした契約に関する、よく考えられた文書ならともかく、個人のするツイートに過度に責任を求めるのは非生産的だからやめよう
個人の発言はその瞬間にそれを思ったということにすぎず、その後数年間その考えを保持しているかは全く別
反射的な怒りをコントロールする方法
…とはいえ、他人のぎょっとするような発言が流れてきたときに、無用な怒りを感じてしまう人もいるかと思うのでこう考えたらいいのでは?ということを書いておく
思考実験:掛け算がわからない小学1年生
たとえば、小学生1年生に掛け算がわからないことに起因する問題発言をしたとしよう。多くの人は習っていないのだからしょうがないと思うだろう。
ここで、わたしたちは以下の知識を使って「しょうがない」と結論づけている
1. 対象は知識がない
小学1年生はまだ掛け算を習っていないから、知識がないだろう
2. 対象の知識はアップデートされる期待
小学校では掛け算を習うから、そのうち知識は身につくだろう
3. 対象の知識がアップデートされる期間
小学校2年生ぐらいでは習うだろう。つまりあと1年後には理解が進んでいるはずだ
加えて、以下の条件を加味してしょうがないと思っているはずである。
小さい子は経験が浅いので、誤りは仕方ない
無知を怒っても仕方ない
更生の期待がある
ひるがえって、自分の知らない分野やものごとについては「しょうがない」と思えないというケースを散見する。
大抵の場合上の考え方を使うと無駄な怒りを感じずに済む。
実例への応用:5年前にしたツイートが炎上するような例 なにかのひょうしに発掘したツイートを、その関連の話題で「今」怒ってる人が、別の切り口で消費してしまうことがある。結果として虚無が生まれる ここに上で考えた理由をあてはめて整理する。
理由1。たしかにこの時点では無知である。ただし、対象が知識がないための発言なのか、悪意があるのかはわからない
この場合、オッカムの剃刀の考え方を使い、知識がないゆえの発言と仮定をしよう さらに、理由1で怒っているのは建設的でないのでやめよう
理由2、3はわからない。5年あれば本人は反省しているか、もう考えが変わっている可能性が高いので、過去の発言を切り取って怒るのは不適切
理由2, 3を意識すれば無駄に怒りを感じずにすむ
類似の意見・事例
過去記事を新しく読むと、過去のその時点での空気感・心境でいっていることのニュアンスがとれない可能性がある
支援サイトでの発表はpublicな発表より距離感が近めに書いているので、心境の変化が大きくなりやすい