石破政権のスタート: 言動不一致
石破首相は自民党選挙中には、「すぐ解散はしない」と話し、臨時国会で予算委員会を開き、政治資金問題を中心に野党との議論を十分に行った後に解散する考えを示していた。しかし実際には、戦後最短となる首相就任8日後の衆院解散を決めた。
自民党総裁選の当初には、石破氏は、政治資金報告書に不記載の問題があった自民党議員の公認には否定的な意見を述べていたが、首相になった後には非公認に慎重となり、最終的には世論の批判を受けて、12人を非公認とした。しかし問題議員の多数については公認を認める決断をしたことを、立憲民主党の野田代表は批判した。
維新の会の馬場代表
アジア版NATO、金融所得課税見直しなど、石破首相が総裁選で主張していたことを、首相になってからはトーンダウンしたことも批判した。 国民は、石破氏が党内野党であり、自民党を内から変えてくれるとの期待をもって支持してきたが、実際に首相になると、単なる自民党の非主流派だったとの見方をし始めている...
石破首相が従来から主張してきたアベノミクスの問題点についても、首相就任後はトーンダウンし、またアベノミクスの功罪の検証、とも言わなくなった(コラム「石破政権はアベノミクスをどう評価したか(衆院代表質問)」、2024年10月8日)。
自民党総裁選では、円安による物価高の弊害を抑える観点からも、石破首相は、日本銀行の利上げを支持する姿勢であったが、総裁選に勝利した直後に円高株安が進んだことなども影響し、首相就任以降は、日本銀行の利上げに慎重な姿勢を滲ませる発言を行った。