死
死が怖い
死というよりは、死んだ後に無限に無の時間が流れるのが怖いし疑問を持っていた
パスカル
私は、私を閉じ込めている宇宙の恐ろしい空間を見る。そして自分がこの広大な広がりの中の一隅につながれているのを見るが、なぜほかの処ではなく、この処に置かれているか、また私が生きるべき与えられたこのわずかな時が、なぜ私よりも前にあった永遠と私よりも後に来る永遠の中のほかの点でもなく、この点に割り当てられたのであるかということを知らない。私はあらゆる方面に無限しか見ない。…私の知っていることのすべては、私がやがて死ななければならないということであり、しかもこのどうしても避けることのできない死こそ、私の最も知らないことなのである。
解決策
少し救いになった考え
遍在転生観
私は生けとし生けるもの全てである
死んだ後を想像すると怖いため、死んだ後の世界が存在しないと考えれば良い
誰かを庇って死ぬ的な、その瞬間に集中する出来事で死にたい
現実と夢のどちらがメインか
(高校生の時に思っていたことを突如思い出したのでまとめてみる)
高校の頃に思ってたのは、現実はメインとして扱っていいのかということである
メインというのは自分にとって認識できる世界のうち、一番高次の存在(他を俯瞰できる的な)で、自分の基準となる世界のこと
例1)
現実がメイン、現実でしているゲームがサブ
現実がメイン、現実で睡眠中に見ている夢がサブ
例えばなぜ夢ではなく、現実の方がメインだと思ってみんな生きているのか不思議に思ったことがあった
マジレスすると以下の理由が考えられる
夢のメカニズムが解明されて、夢は現実の中で起こると証明されたから
夢は悲惨な状況でも一定時間でリセットされるが、現実はリセットされないから
現実の方が自分と同じ存在が多くいて、共感を感じているから
夢が支離滅裂すぎてそもそもコントロールできないのでメインにしても意味がない
ここで注意
現実がメインという前提のもと、現実と夢の区別がつかないという話ではない
私が言いたいのは、現実と夢の区別はつくが、その上でどちらがメインなのかという話
シュルレアリムスの夢の中にも現実はあるのでは?に近い
上のマジレス内容は共感できる一方で、この神が作ったのかエイリアンが作ったの何も分かっていない世界も、なぜかこの体に私の意識があることも、相当意味が不明だった
現実は今のところ予測不可能なこと(いきなりリセットされるとか、私の体が変わるとか)は起こっていないが、明日起こらない保証はない
なので特別夢の方がまともじゃないとは感じられなかった
そこまで行くと色々なものを信じる意味が薄れてきて、法に関わる行動をしてみようとか、ファンタジーな事象が起こるんじゃないとか色々おかしくなってきた
同時に、このまったく信頼できない現実を普通に生きている人がたくさんいることが信じられなくなってくる
人の体にとらわれることに違和感
高校の頃思っていたことその2に、視点がこの体に囚われてることに対する違和感がある
マジレスすると私の脳がこの体にあるからなのだが、何か違和感があって最近思ったのが閉所恐怖症に近い感覚だったということだ で、これは無限に拡張できて
例
棺の中は怖い。動こうと思って動けなくて、それでパニックになっても絶対に動けない状態になるのが怖い
潜水艦も怖い
車も窓がなければ怖い
部屋も怖い
人の体も怖い。地球も怖い
(サルトルのアンガージュマンの拘束?)
閉所恐怖症の問題は、全く怖くないものでも、怖くなりやすいということである
人生の目標
死んでもいいと思える状態になりたい