月報2022-12後半
出来ること 出来ないこと
https://gyazo.com/49293ba8c247ac80ddec44a35ccb51dd
@_mito_to: メンタルの状態によって出来ること出来ないことリストをつくり可視化すると今の自分の状態を知ることが出来るようにおもう @mansooon: 買った本を読む暇がない。買ったレコードを聞く暇がない。サブスクにお金を払って映画を観る暇がない。仕事のことを考える暇がない。好きなものを好きなだけ食べる暇がある。眠くなるまでYouTubeを見る暇がある。お風呂にたっぷり浸かってポカポカのまま寝る暇がある。夢を見る暇がない。暇しかない。 なんかこの「〇〇する暇はあるけど▢▢する暇はない」という感覚、こういう風に序列があるものとして捉えるとなるほどと感じる
「〇〇もできないんだからもはや何もできない」みたいに思ってしまって行き詰まることもあるけど、実はそれらはフラットなものではなくてやりやすさレベルの序列があるということを意識していくのは良さそうに感じる
コストが高い行為はできないのもしょうがないと割り切って、コスト低いところから順次やっていくようにしたい
『大怪獣のあとしまつ』
あらかじめ評判や三木聡ファンの意見などを読んでいたので、全然落胆することなくけっこう楽しめた
この作品は、どういう期待値をもって見るかと、演劇的なコメディへの理解によって全然変わりそうだなと思った
『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』みたいな期待をしている人にとっては全てがスカされてしまう演出
人生の貴重な2時間を無駄にした!といった感想を見ると、人は期待にそぐわないもの、理解できず異質なものに直面したときにどうにか折り合いをつけるために過剰な反応をすることで異物の正常化をしてるんだなと感じる
逆に驚いたのは特撮的な演出がけっこうしっかりしていること
なので本気でシン・ゴジラの後話のような作品として期待感を持ってしまうし、そういう姿勢だと意にそぐわなくて怒ってしまう
もっとしょぼい感じだったらミスマッチを生まなかったかもしれない
この間「明日のアー」の公演を観たこともあり、人間が真面目にやっているがゆえに生じる滑稽さというものの機微がとてもおもしろく感じる
単にそれをお笑いとかコントと呼んでしまって良いのかまだよく分からない
あくまで笑いとは言わず、真面目に演技をやっている前提でのズレを楽しむという感じがある
演劇での笑いはドラマの中での副産物と言っていた
だからこの映画も爆笑コメディ映画という売り方ではなく(爆笑系ではないが)、あくまで真面目な特撮映画という体裁は外せないのではないかと思う。それゆえに過剰に叩かれてしまう
コメディにしてはつまらないという感想
下品でナンセンスみたいに言われるのも分かるし、いわゆるコメディって期待からもズレるんだろうけど、なんかそうではなく人間の滑稽さなんだよなーって感じる
この映画を見ると逆に『シン・ゴジラ』などが真面目すぎるし観てる我々も真面目
もちろんそれらが茶化されることを嫌悪する人もめちゃくちゃ多そうだけど、茶化してるというわけでもない感じがする
真面目な作品に真面目に向き合った結果として出てくる滑稽さというか。本来はおかしいところでおかしいと声を上げることができなかったのがくだらないやりとりでどんどんガス抜きされていく
作品内容的にも我々観賞者に蓄積された真面目さのガス抜きかもしれない
かのヒッチコック監督が、演出に対する不満をぶつけてくるイングリット・バーグマンに言った言葉が好きです。「たかが映画じゃないか」。本作に対する真の評価はこれからだと考えております。公開時の騒動で我々が仕掛けた多くの要素が見落とされたままだからです。しかし、それについて語るのは野暮というもの。今後、劇場なり配信なり、本作を目にした方々が、それぞれに発見して楽しんでいただければと思います。十年後、あのコロナの時代に、いい大人がこんなにフザけた映画を真剣に作っていたんだ、という事が、日本映画の矜恃として語られるかもしれませんから(笑)。
時代を経てどういう評価をされるのかは分からないけど、わりと応援したいな
ネットで「叩いて良いもの」として認定されてしまうことでそこに乗っかる人も多く、価値観が硬直してるきらいがあるので、もうちょっとフラットに観てほしさはある
『インスタント沼』
大怪獣ついでに三木監督の過去作も観た。2009年作品
このころは映画観まくろうということで毎日のように映画館に行くというのをやっていてそれで観たんだけど、当時はいまいちよく分かんなかった印象がある
今ならちゃんと分かるのかなって思って観直してみた
でもあんま印象は変わらないかな。コメディというよりは疲れたOLをエンパワーするよ系の映画
父親役の風間杜夫さんのキャラが良くて思った以上に存在感あった
2時間作品の1時間半でやっとタイトルのインスタント沼が登場するんだけど、ラストあたりの展開は全然覚えてなかった
ロケ地としては『龍が如く7』でも観た横浜周りや千葉などが使われてるけど、序盤の本編にあまり関係ないところでは以前住んでいた目黒の権之助坂商店街が使われてた
https://gyazo.com/ebf8f5e28905d11ede9df2a56c417120
ニンニクラーメン食べて出てくるシーンでローソン隣りの「麺家 黒」が協力したんだな~って思ったけど、後で見返したら実は店自体は使ってなかった
https://gyazo.com/4444f171f812d366965c782e24fc7828
「麺屋 黒」の右隣には奥にある学校に通じる下り階段があって、ここのスペースにのぼりとのれんを立てることであたかもラーメン屋から出てきたように見せるトリッキーな撮影だったんだなと分かった
手前に本物のラーメン屋を映すことで景色として取り入れる借景の概念だ
この権之助坂を上ったところに名画座があってたしかそこで本作を観たと思うんだけど、このへん紹介されてたんだろうか
明日のアー 悪役研究発表公演『本当にあったひどい話 創作集』
https://gyazo.com/9d1ad261e9f057b41cab15c8183935f3
https://gyazo.com/34d9612ecf9bcb7b9b9723264ee54750
会場は入谷にあるイベントスペース。椅子が3列で観客50人くらい入る感じだった
距離が近いのもあるけど、みんなマイク無しでめちゃくちゃ声が出てて生の演劇に圧倒された
今回は「悪役(悪人)」というのがテーマ
悪役というのはなぜ悪役になったのか事情が語られてしまうともう悪ではなくなってしまう
鬼滅の刃とかでもそうだけど昨今の作品だとだいたい悪役側の事情を描かざるをえない
昔ながらの時代劇の悪代官は事情がなくただ悪人として存在している。それがいい
事情を語ることのない創作悪役が立て続けに演じられ、相対した人が翻弄されていく
悪役を悪役たらしめるために高笑い演技やドンキのガラが悪い衣装、セカンドバッグなどが用いられる
当日は最後の回の公演だったので締めにアフタートークがあり、さらに主催大北さんのツイートで振り返りがあった
@ohkitashigeto: 悪役と悪人。それは人として異物、異常とみなすものであって、一方ユーモアとは異常を楽しむことにある。という話を前説で言いたかったんですが今まとまりました @ohkitashigeto: 相手を知れば異物でなくなる。というのは悪役でもユーモアでもそう。知ろうとしつつも異物感を一回楽しむ(笑う)ということを私は好む。パリコレの変な服とか性器を露出させた現代ダンスとかゼイリブのバックドロップやグリーンディスティニーの頭まさかりにおいて。そういう話でした @ohkitashigeto: そもそも冗談には異常を正常化するという機能があるので、鬼ヶ島の鬼が岡山に住民票移してきたら人々は受け入れつつも爆笑することでしょう。それですじゃ 悪役という異常事態について
悪役とは違うかもだけど、高校生のときに応援団に入っていたクラスメイトがなんか声をガラガラに枯らして気をつけの姿勢で「押忍!~~であります!」みたいな話し方をするのが異質な存在すぎて全然事情が分からなくて、その分からない行動に対して思わず笑ってしまう体験があったなと思い出した
でもぜんぜん面白くて笑うのではなく、義務的な笑いというか、笑ってしまうことで面白いものとするみたいな感じ
後々それが応援団という事情が分かり、真面目にやっていたんだなというのを知って申し訳なく感じた
FIFA World Cup Qatar 2022 決勝
ちょうどスラムダンクを観た翌日だったので、フランスが後半20分までシュートを1本も撃てずに抑え込まれているという状況が、山王戦の後半開始3分で心を折られにかかっている場面を彷彿とさせた
ワールドカップ期間中、サッカー好きの同僚とけっこう盛り上がって話していたのだけど、改めて試合には流れがあるということを実感した
スラムダンクでもそうだけど、監督は勝利を諦めてないということが花道、そしてチームメイトへと伝播してチームとして意思統一されることで相手を凌駕する攻勢へと転じていくのが「流れ」だなと感じた
https://gyazo.com/bb330fb05bda4a2d766aa60896a90e69
メッシとエムバペとネイマールが同じチームであることを知って驚いた
競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか?
https://gyazo.com/5f582b32c7505645155f747a7ba490d8
同僚が紹介していた本、なかなか面白かった
本の内容はブログ記事っぽいというか、もともとブログに書いてたものを書籍の体裁にまとめ直したのかなと思うけど、簡潔に記事としてまとまってたらけっこうバズりそうだよなーという面白さがあった
この著者の主張が正しいのかは分からないけど、日本はスポーツでも十分世界に通用しているのにサッカーに関しては勝てていないという評価とその解説をしている
オリンピックでのメダル獲得数を基準に日本のスポーツについて評価していて(表紙に描かれているのがその分類)、個人競技と団体競技、そして相手を妨害することができるか否か、という2x2のベクトルに分類している
この中で「団体競技であり相手を妨害できるという分類のスポーツ(この本では「団体闘争」と呼称している)」について日本人は不得手だと語っている
なぜかというと、個人競技であったり相手の妨害が入らない場合であれば、自分のベストさえ尽くせば勝てるから
サッカーのような集団で攻守が入り交じる競技だと自分のベストを追求するだけではだめで、相手に合わせて集団で動かないといけない
@akihoo: 競争闘争理論の著者や読者はサッカー日本代表の試合後のコメントを聞いて何か思うことがありそう @akihoo: 例えばこの 02:46:46 からの浅野のインタビュー ドイツ戦勝利後の浅野のインタビュー、「自分のベストを追求した」みたいなことを言っていてそのときはごく自然に受け止めていたんだけど、言われてみるとこれは確かに自然にそう思ってしまっている文化があるなと思う(選手自身はそのへん分かっているかもしれないけど、受け手としてあまり考えずに受け止めてしまう)
逆に言えば、たとえ試合に勝てなくても自分のベストさえ尽くせば良い、というマインドが根強い
「自分のベストを出す、己に克つ」ということは、集団的勝利を収めるということにおいては評価されない
これはWW2でもよく言われるというか、負けたという事実があるからこそ戦略的勝利以外のところに心の拠り所を求めてしまう美学があるかもしれない
アメリカの連発銃に対して単発銃で一撃必殺すれば良いという(『ザ・ワールド・イズ・マイン』みたいな)精神性にロマンを感じてしまう
武士の時代から一所懸命という言葉もあるから、昔からそういうマインドを良しとしている感もある
じゃあどうすればいいかというと、議論・コミュニケーションが大事という話になる
サッカーのようにいちいち話し合いができないようなところでは、特に高度なシンクロが必要になる
スポーツにおいては合理性や論理性よりも、感情による判断が重要になってくる
感情によって振る舞いが変わる
スポーツに流れがあるというのは、感情的な統一にありそう
全員が点を取りに行く、取れると思えるということが動きを変える
スラムダンクの山王戦のような展開というのは、まさにそういうものじゃないかと思う
これはスポーツの話だけど、ビジネス、プロダクト開発においてもおそらく適用できるところが大きいんじゃないかと思う
よくビジョンが大事と言うけど、具体的なビジョンを共有した上で、点を取りにいけると全員が思えるような感情的な一致がなされるかどうかでパフォーマンスは全然違いそう
『THE FIRST SLAM DUNK』 オレは今なんだよ!! について
https://gyazo.com/94b1e239868d9ca4bcea5dd1fac0bf11
知ってる原作漫画のアニメ化ということで全然期待してなくて、まったく前情報も知らなかった
ただDolby Cinema上映による「無音がすごい」という感想が気になったので観に行った
@d_d_osorezan: 『THE FIRST SLAM DUNK』をDolby Atmos版(高音質)で観たんだけど、無音の音質が良いという謎の体験をした。 実際体験してみるとこれは全然すごかった…
原作はとにかく汗の描写によってスポーツを描いていた印象があるけど、この映画はとにかく音がすごい(絵もめちゃくちゃすごい)
当たり前なんだけどバスケはダンダンとボールを弾ませる音や館内に響くシューズの音などがベースにある。原作を読んでるときには全然意識できてなかったので体験性がぜんぜん違う
原作は紙というメディアでの表現を突き詰めたもの、映画は映像メディアでの表現を突き詰めたもの、としてどっちが良いとかじゃなくてどっちもすごい。それぞれのメディアで表現すべき価値のある作品になっている
漫画原作とアニメ、これが両立するという感覚が今まで無かった(どっちかに偏ってしまう)
テレビアニメ版は全く見てなかったので映像として元々どう表現されてたのか気になる
原作者自身が監督していることで新しい視点、新しいエピソードとして作れらていて、それが新鮮で素直に楽しめたのも良かった
エヴァとかスラムダンクとか何度やっても良い演目だと思う。歌舞伎として数百年やっていける
後で原作読み返したら魚住が包丁持って乱入するシーンがあって、いくらマンガとはいえ(特に今の時代だと)ありえなすぎてびっくりしてしまった
花道が机の上に乗るシーンも一発退場になりそうなありえなさを感じた
連載当時ジャンプ読んでたけど、なんかスラムダンクは途中から全然読まなくなっていた
序盤は不良漫画だから読んでた気はする
後からすごいって言われて(連載中からすごかったはずだけど)単行本で読んだら驚いた
スポーツ漫画ってだけでちょっと敬遠してた感じがする
スポーツはルールが良くわからないってのもあるかもしれない
「オレは今なんだよ!!」について
https://gyazo.com/82983b21383ce08f4c585e9f1eaf1969
名台詞のはずなんだけど、この映画を見たときにはいまひとつ賛同できないなという気持ちを感じた
おそらく物語の視点が花道以外に変わったことや自身が中年になったせいかも
『ロンゲスト・ヤード』では、かつて刑務所長を殴って一生出れなくなった囚人が後悔なんかしてないってシーンがあってちょっとそこに重ねて見てたけど、この先の人生がそこまでないオッサンとは違って高校1年である花道が未来を捨てるというのはあまりに早計に思えてしまう
https://gyazo.com/5ba8af4a66b23b9a6f95ebdc47860a91
元の台詞
(Crewe)"Hey Pop, the time you hit Hazen in the mouth, was it worth 30 years?"
(Pop) "For me it was."
飯嶋永昭訳
クルー「なあポップ、所長を殴ったんだろ、後悔してないか、30年を棒に振ったことを」
ポップ「いや、今でも殴るよ」
もちろん後悔したままでは生きたくないというところなんだけど、その代価がでかすぎる
中年にとっての今と今後の比率が1:1くらいだとして、それが高校生だと1:5くらいあるとしたらだいぶ分が悪い勝負に思えてしまう
若者視点ではその将来の大きさが自身で見えてないのではないか、と中年視点で感じてしまう
原作での希望がありそうなエピローグを知っているから受け止められるけど、これが本当に未来を捨ててただ再起不能になるのであればその選択はやめるべきだろうなと
まあいろいろ考えを巡らせてしまうけど、安西先生のほうがよっぽど考えていて了承するのだからそれでいいのだろう
しかし、よくよく考えてみるとプロ野球の佐々木朗希投手は甲子園地区大会決勝で将来のために登板回避する判断をとっていた
今年4月に完全試合を達成したことにより、甲子園当時は批判されていたことが正しい判断だったと評価されるようになった
そう考えるとちょうど時代感が変化しているタイミングとして、違和感をおぼえたのも当然な気はする
仮に佐々木投手が甲子園を投げきって勝利と引き換えに故障したとしても、結局その後のことは分からないからその世界ではそれが後悔しない正しい判断だったと評価される気はする
でもそれが旧時代的価値観というか、知らず引きずってるあまり良くない伝統なんだろうな
みんなが信じたい精神性vs医療科学的見地という構図かもしれない
それゆえにそういう時代もあったんだねと伝統歌舞伎にしていきたい
https://gyazo.com/2fc5eabc80dfe3670b18434371b28cc6
『龍が如く7 光と闇の行方 インターナショナル』
https://gyazo.com/0a4a38b2f8eaae3d8ca82e55743fe0a5
年末にセールで安かったので一通りクリアするまでプレイした
「無職のおっさんたちによるFF15」と誰かが評していて、FF15はプレイしてないんだけど確かに一緒に旅をしてて楽しい~って感じた
食事したときや道中の場所とメンバーによってちょっとした会話がけっこうたくさん用意されていて良い
龍が如くをプレイしたのは1だけでその後のシリーズはやってなかったので、今回の新しい主人公はすんなり受け止められて好感の持てるキャラだった
シナリオ的に風俗の話とかけっこう際どい社会の話をしていて子供もプレイするだろうし大丈夫なのか??って思ったけど、CEROレーティング17才以上対象だった
3章くらいまではソロパーティーで戦術性が無いし、ムービーばっかりでちょっとつらかった
ホームレスになってからは裸一貫で始めていけるのがドラマとしてもゲームとしても楽しい
https://gyazo.com/81a4f77ea169fb9bf0c94d702dbd9110https://gyazo.com/d17f488561743c0a244fe007f633fcab
ホームレス生活として自販機の小銭漁りをするんだけど、これを「いいものサーチ」とポジティブに呼称してるのがいいセンスだなって思った
友人のIDA-10さんが元SEGAメンなんだけど、彼なら得意気にニヤッとしながら「これ小銭漁りじゃなくて、いいものサーチって呼んだほうがハッピーじゃない?」って言うよなーって思った
チー付与 第14話
https://gyazo.com/a617c49082e5c8f1be35ad70e7cddec7
天才すぎる…
『ぼっち・ざ・ろっく!』
@1gho: ぼざろ2期、当然作って欲しいけど頭のどこかで「いや正直このクオリティはもう無理でしょ…」という想いがあって、脳内で「最悪のぼざろ2期」を想起することで“痛み”を誤魔化している(製作陣やスタジオ総とっかえ、世界観と合わない有名大物バンドが毎週曲提供、ぼっちちゃんの幼馴染男子がバンド加入) 最高だっただけに最悪のぼざろ2期への不安を今から抱いてしまう。今期の盛り上がり方はチェンソーマンとは対極的だった
きららアニメのバンドものということで『けいおん!』と対比して見るところも多く、約10年くらいを経て新しい時代の切り替わりを感じさせるものがあった
けいおんは当時全然観て無くて、しばらくしてから一期・二期・映画版と一気見してすごいなーと思ったけど、もはや盛り上がりが一通り収まった頃だった
けいおん2期が2010年、映画版が2011年12月だったので、東日本大震災に被災した方は映画版を観ることなく亡くなってしまったのだなというのがなんだかずっと印象深く感じている
エヴァも自分が死ぬ前にさっさと完結してくれという思いがあった
シンエヴァはもはや内容以前に完結してくれてありがとうという気持ちを持つ人も多かったんじゃないだろうか
https://gyazo.com/ec7e1619c29751f0ea0ae7a30323f550
ぼ喜多の関係性、『わたモテ』の加藤さんみたいだなと捉えると、本来ぼっちであるはずのぼっちちゃんが物語の主人公であるゆえにみんなの中心となって愛されていき、トップカーストであるはずの喜多さんのほうこそが内面的な孤独を抱え、ひとりちゃんに憧れを抱くというのが倒錯的になっていて良いなと思います
『こかむもVOICEVOX劇場 ゲームVSひまり』
https://gyazo.com/948d7fdac112cdc0552e81ad616000b6
https://gyazo.com/01ea98c19a802e5e6e084c709c44b6f1
このシリーズ好きすぎる
『ゆるエルフ』
https://pbs.twimg.com/media/Fkv1TmhacAQcv3g.jpg
このシリーズ好きすぎる
『ギャルバニア』
https://pbs.twimg.com/media/FjxOjIQaAAAi_I2.jpg
このシリーズ好きすぎる