環の歴史
他分野(主に数論)からの寄与もあって、環の概念は一般化されていき、1920年代のうちにエミー・ネーター、ヴォルフガング・クルルらによって確立される。 活発に研究が行われている数学の分野としての現代的な環論では、独特の方法論で環を研究している。
すなわち、環を調べるために様々な概念を導入して、環をより小さなよく分かっている断片に分解する(イデアルをつかって剰余環を作り、単純環に帰着するなど)。
こういった抽象的な性質に加えて、環論では可換環と非可換環を様々な点で分けて考える(前者は代数的数論や代数幾何学の範疇に属する)。
特に豊かな理論が展開された特別な種類の可換環として、可換体があり、独自に体論と呼ばれる分野が形成されている。
これに対応する非可換環の理論として、非可換可除環(斜体)が盛んに研究されている。
なお、1980年代にアラン・コンヌによって非可換環と幾何学の間の奇妙な関連性が指摘されて以来、非可換幾何学が環論の分野として活発になってきている。
環の研究の源流は多項式や代数的整数の理論にあり、またさらに19世紀中頃に超複素数系が出現したことで解析学における体の傑出した価値は失われることとなった。
1892年にヒルベルトが「数環」(Zahlring) という用語を造って 「代数的数体の理論」
(Die Theorie der algebraischen Zahlkörper, Jahresbericht der Deutschen Mathematiker Vereinigung, Vol. 4, 1897.)
を発表した。
ハーヴェイ・コーエンによれば、ヒルベルトは "circling directly back" と呼ばれる性質を満たす特定の環に対してこの用語を用いている。
環の公理論的定義を始めて与えたのは、フレンケルで、
Journal für die reine und angewandte Mathematik (A. L. Crelle), vol. 145, 1914.
におけるエッセイの中で述べている。
1921年にはネーターが、彼女の記念碑的論文「環のイデアル論」において、可換環論の公理的基礎付けを初めて与えている。