ジェロラモ・カルダーノ
ジェロラモ・カルダーノ
(Gerolamo Cardano、1501年9月24日 - 1576年9月21日)は、
ジローラモ・カルダーノ(Girolamo Cardano)との表記もある。
ミラノで生まれ、ローマで没した。一般に数学者として知られている。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Jer%C3%B4me_Cardan.jpg/250px-Jer%C3%B4me_Cardan.jpg
自叙伝には、ジェロラモの母親は彼を中絶しようとして失敗した、と書かれている。母親は3人の子供を伝染病で失い、それから逃れるために彼が生まれて間もなくミラノからパヴィアに移った。ジェロラモは1520年にパヴィア大学に入学して医学を学び、後に薬学を学ぶためにパドヴァ大学へと移った。彼は他人にうち解けない気性だったため友人は殆どおらず、大学を卒業してからも長い間仕事につくことができなかった。
最終的にジェロラモは医者となり、後には注目すべき医者として名声を得て、彼の意見は裁判所で尊重されるほどになった。
1543年にはパヴィア大学の医学教授に任ぜられた。
腸チフスの発見者でもある。
他にも
アレルギー症の発見、
ヒ素中毒の研究、
痛風と発熱性疾患の治療法の確立
などがある。
科学者としては
磁気現象と電気現象の区別の確立、
カルダノの輪の考察、
さらに発明家として
オートキー暗号の考案や
カルダノ松明通信の考案、
1550年にカルダングリルの発表も行っている。
自伝によれば多くの本を著したようだが、現在では失われてしまったものも多い。
自在継手の考案者であり、自在継手の「カルダンジョイント」という別名は彼に由来する(電車などの「カルダン駆動方式」も、カルダンジョイントを使うことからの名称だが、間接的に彼に由来するものと言える)。 占星術に凝っており、キリストの占いまでしてしまって投獄されたこともある。
占星術で自らの死期を予言しており、最後はその当日に自殺したと伝えられる。
偉大なる術(アルス・マグナ)
彼はこの中で世界で初めて虚数の概念を登場させた。以下の問題が登場する。
「足して10、掛けて40になる二つの数はなにか」
これは従来「解なし」であるが、この本の中では
$ 5+\sqrt {-15} と $ 5-\sqrt {-15}
が答えだと書かれている。虚数があれば答えのない問題にも答えを与えることができると示している。