やる気というものは錯覚
そもそも「やる気」なんてものはあるのか?
若い頃から「やる気」という言葉を教え込まれているから、あるものだと勘違いしてしまうのでは
錯覚だという認識を持ったほうが良いのでは
よく、やる気を出してやるのではなく、やっているとやる気が出るみたいな話もある
脳の仕組みとしてそうです、みたいな話も聞く
やっていくうちにやる気が出る、というのは、自分が何を認識して、視点を置いているかということになる
すなわち、興味とか、続きが気になる、惰性といったものである
もっとも近いのは「好奇心」か、「野次馬根性」とかそこらへんだろう
これは、「行動を起こすための活力」とはちょっと違う
やるべきなのに行動に移せない場合
すぐにやると有利(放置すると不利益が発生する)という理解が足りてない
まだ放置していても、マイナスは少ないだろうと認識している
その大きいマイナスをわざと感じない、考えないようにしている
これらは、以下のようなものになる
思考不足
ネグレクトは思考不足のうちだろうか?あるいは別種のものだろうか?
「理解をする」という動詞が、実は極めて不明瞭なものであることに気づくべきだ
物事の理解、学校で習ったことの理解は、テストによって、本当に理解していたかが判別できる
「理解しました」「分かった」という発言は、理解したことを証明できない
日常的な言葉で使う分には、発言者や、それを聞く人が、発言者を信頼、信用してのことである
アルコール依存者が「もう飲まない」というのと似ている
言葉では何も証明できない
自分は「やる気がある」ということを示す最も単純なテスト方法は、実際にやることだけだ
もう少し掘り下げると、実際にやったことを書き下して客観視などをすると良いだろう やらなきゃいけないのにやれない、で頭がぐるぐるすると、「やろう!」という曖昧な思考で頭のリソースを奪われて、上記の「早めにやったほうが得」といった常識的な判断をする余力がなくなってしまう
メモリの開放をするためにする作業がメモリ不足でできない、
服を買いに行く服がない
万能ではないかも知れないが、基本的な対処法
それは今日中にやらないといけない?
そうでないなら、明日やることにして
明日やるべきことをとにかく分解して箇条書きにする
とにかく細かくタスクを分解して、各々のタスクの終了条件を、明確に書く
デッドロックを頻繁に起こすようなら、そもそも思考リソースの配分方法について、人生を通して取り組むべき課題として考えるべき