3次方程式の歴史
放送大学の「数学の歴史」を受講するのおすすめ
大雑把に言うと、
数学試合ってやつで、フィオーレをボコボコにした
フィオーレは師匠から特殊な場合の3字方程式の解を引き継いでいたが、一般ではなかった
タルタリアは教えたくなかった(自分が最初に出版したかった)んだけど、
忙しくてその本の出版がすぐにできなかった
かたやカルダノは大学教授でハイソな感じ
タルタリアは貧乏だったが気合で算法教師やってた人
コネが欲しい
カルダノは頑張って聞き出そうとする
ミラノに滞在中の高名なスペイン人の知り合い紹介してやる
タルタリアはコネが欲しいので利害は一致する
タルタリアが先に出版するのを条件に教えた
わざとか偶然かは分からんが、その知り合いはもう帰国しちゃってたので散々
しかも、カルダノは、多少待ったが先に出版
一応最初は待ってはいた
理由
発見者は別にいて、そいつが先に見つけてるっぽい
デルフェロの弟子が遺稿を持ってた
自分が証明つけるからまあいっかって感じ
結果として三次方程式の解法が最初に公表されたのは、結果「アルスマグナ」
当然タルタリアは切れて論争
カルダノ側は弟子が引き継いでなんか争ってたらしい
なので、
タルタリアが正しい?ければタルタリアが先
カルダノが正しければ、デルフェロが先
3次方程式の歴史
del ferro デルフェロ
ホントは最初
公開してなかった
どもる人
フランス軍の襲撃の後遺症
タルタリアはあだな
後年は自称
公開討論会
うわさ
タルタリアに教えてもらった
公開しないという約束
del ferroに会いに行ったがすでになくなっていた
弟子が遺構をもってた
たぶんdel ferroが先だから、タルタリアとの約束守らなくていいかということで公開した
当然タルタリア怒る
カルダノの弟子
によって
https://gyazo.com/09a815d19eb6eb3682b736640103ff6a
フェラーリはカルダノの弟子ですが,カルダノは最初はタルタリアから3次方程式の解法を公表しないという約束のもとに教えてもらいましたが,デルフェロの弟子を訪れその遺稿を見てデルフェロのほうが最初に解法を発見していたと判断しタルタリアとの約束は守る必要がないと判断し解法を公表しました。だから3次方程式の解法はデルフェロが最初と私は考えます。