論理哲学論考
世界は事物の総体である
↑
これだと、事物同士の関係性について考えられない。
世界は成立している事柄の総体である。
↑
これなら、関係性についても記述できる。
これは正に力学系や複雑系の相互作用について同様のことが言える。
あとは、〜成立しているも、重要。
事柄・事態は、成立しているにせよ、していないにせよ「論理的に可能な事柄」
↑
これは、物理的可能性とか、正しさを意味しない。これと対比的に、論理的に成立して、かつ現実で成立することを事実とする。
だから言い換えれば「世界は事実の総体である」みたいなことが言える
事態の総体は論理空間と呼び、事実でなくても可能な論理の集合である。
✅事実と像
象は現実を写像したものである。
現実=事実=成立している事柄には一致性がある。
事実を論理形式とした時に、
人が主観ないし客観的にこれを写し取ったものを「写像形式」という。
象は論理象でもある。
全ての写像は論理形式を持つ。
故に、象は世界を計算可能な範囲で写像し、
記述しているといえる。
命題を論理言語でどこまで記述できるか。
(世界はどこまで計算可能か)というのが本書の語るところである。
すなわち、完璧な言語で記述出来ないことを証明し、そして「沈黙せよ」となるわけである。
思考とは論理像を拵えることである。
論理空間の内部しか我々は思考できないので、
(成立不成立に関わらず)非論理的なものは思考できない。
↑
命題は、真理命題の要素関数である。
以下の集合がヴィトゲンシュタインによる人工言語である。
要素命題→複合命題
要素命題の構成要素=「名」
名は、命題という文脈の中でのみ指示対象をもつ。
↓
リンゴは確かにあるが、文脈の中でしか語りえない。
✅記号論理学
命題論理
命題同士の推論関係
述語論理
1個の命題内部の話
要素命題をpやらqとする「名」の構成要素
要素命題+論理結合子=複合命題
論理結合子は、
否定(not)
~
連言(And)
•
選言(or)
∨
条件(if)
⊃
要素命題は、真か偽かをとる。
複合命題の真偽は要素命題の真偽によって確定する。
すなわち、pかqの真偽で、複合命題が変化する。
命題論理では、
要素命題の真偽値がわかっていれば、複合命題の真偽値が自動的に決まる
入力がわかれば出力がわかるという対応関係にあるので、関数であると言える。
上の関係を踏まえ、
命題を真偽値にまつわる関数として
命題=真理関数と呼ぶ。
複合命題の中には、要素命題の真偽値がなんであろうと、
全部で真・全部で偽
をとるものがある。
これらの命題を、トートロジーとか矛盾命題と言ったりする。
たとえば、p∨~pという複合命題。
私はリンゴである
もしくは、私はりんごでない。
とかになる。こういった命題論理は何かを語ったことにならない。
この命題と論理の構造理解が重要で、
内に行くほど一般性があって簡素な命題になる
述語論理
「∀」不変量記号
意味「すべての」
「∃」
存在量記号
意味「ある」
「すべてのxはFである」 →(x) Fx
「あるxはGである」 →(ヨx) Gx
命題論理
否定(not)~
連言(And)•
選言(or)∨
条件(if)⊃
と
述語論理
「∀」不変量記号
意味「すべての」
「∃」
存在量記号
意味「ある」
↑上記のような論理定項は語れるのか?
つまり論理定項は記述出来るのか?
この当たりが論理哲学論考の重要な命題
「すべての命題は、要素命題の組み合わせであり、
要素命題によって自身の真偽も決まる関数のようなものである」
真理関数
真理関数Truth functionとは、
数理論理学において、真理値の各変数の変域と終集合とがそれぞれ
『「真な命題」と「偽な命題」のみから成る集合』に等しいような写像である。
真理関数は命題関数でもある。
ξ グザイは、諸問題の任意の部分集合を指す
なので、、要素命題も複合命題も入る
N(ξ)は、構成するすべての命題の否定を意味する。
このNという操作は否定論理積と言う。
すべての命題は、要素命題に否定論理積Nの操作を有限回反復した結果だと言える。
Miyabi.icon彫刻と否定論理積
Nは、カッコの中に入る命題をすべて否定する。
すなわち、無限回行えばどんな操作も成立する。
否定形は範囲指定の消去法を含意するので、
前述した4つの論理結合子は、Nで表現出来ることになる。
あらゆる命題は、要素命題と否定論理積飲みで構成可能である。
これらの論理式に特徴的なのは、論理定項は、
何らかの形で成立しているが(語ることができない。)つまり、論理的対象にはならない。
論理定項が語れないので、量化記号も語れない。
「存在」とかが語れないのはこれによる。
観測者含めた状況記述とかになる
↑ハイデガーとかは時間で頑張った
命題は、より高い次元を表現出来ないとした
倫理や神は語れないが、示すことはできるとした。
というか、そもそも問題設定として不適切。
記号論理学は大きく「命題論理」と「述語論理」という二つの部門に分かれます。前者は命題どうしの間の推論関係を、後者は命題の内部構造と量(「すべての(all)」や「いくつかの(some)」)に関わる推論関係を扱う、と考えればよいでしょう。 まず命題論理ですが、命題の最小単位は「要素命題」と呼ばれ、命題変項(p, q, r…)によって表示されます。これらの要素命題は論理的な接続詞(それを「論理結合子」あるいは「論理定項」といいます)によって結びつけられ、複合命題を形作ります。論理結合子のうち基本的なものは、「否定(not)」「連言(and)」「選言(or)」「条件法(if~then)」の四つです。それぞれの記号表記と日本語の読み方は、「~p(pでない)」「p . q(pかつq)」「p∨q(pまたはq)」「p⊃q(pならばq)」となります。論理記号にはさまざまな表記法がありますが、ここではヴィトゲンシュタインの記法に従っておきます。 この言語批判の理念を基盤にしてヴィトゲンシュタインは「4.112 哲学の目的は、考えを論理的にクリアにすることである。哲学は学説ではなく、活動である」という新たな哲学観を提起します。つまり、哲学がなすべきことは、難解で深遠そうな哲学的命題をひねり出すことではなく、むしろ哲学的命題に潜んでいる言語の論理への誤解を明るみに出し、言語批判を通じて問題そのものをクリアにすること、すなわち「活動」なのです。