空海と記号設置する身体性
「如来の説法は必ず文字に籍る。文字の所在は六塵その体なり」
「六塵」 とは、眼・耳・鼻・舌・身の五官と意識による認識の対象である。 したがっ て、ここでいう「文字」とは、感覚と意識によって認識されるものすべてである。
「六塵の本質は法仏の三密」(真理である如来の身と口と意より生じたもの)をさしている。
また、万物には響きが伴い、声を発している。「声字実相とは、すなわちこれ法仏平等 、三密、衆生本有の曼荼なり」と空海は告げる。つまり、仏の真理は「声」(万物の響き) と「字」(姿)として人々に等しく具わっている。それゆえ、大日如来は、その声と字に よって、長く眠りつづけている人々を目覚め させ、悟りへ向かわせるのだという。
「声字実相」の典拠として、空海は『大日経』を挙げるとともに「因陀羅宗の如く」と記してい る。「因陀羅」は古代インドの神々の帝王イ ンドラのことで、「因陀羅宗」はバラモン教をさす。つまり、仏教 に限らず、どの宗教も古くから「声字実相」 根本にしてきたと空海は言う。
たしかに、宗教というのは全身に仏や神々 の声を聞くものといえる。
祭儀や法要ではさまざまな讃歌が唱えら れ、まったく無言ということはありえない。 特にインドでは、およそ三千年前に「ヴェーダ」と称される聖典が編まれた。