出島ウェブ
成田氏はV-Demのデータを使用し、民主主義国家であればあるほど、以下の4つの指標が悪化していると指摘しています。
1. 政党や政治家によるポピュリスト的言動
2. 政党や政治家によるヘイトスピーチ
3. 政治的思想・イデオロギーの分断
4. 保護主義的政策による貿易の自由の制限
彼によれば、21世紀は民主主義の劣化により、民主主義国家ほど経済が悪化しているというデータを示しています。ただし、彼は情報技術の発達そのものを否定しているわけではありません。問題となっているのは、情報技術が大きく進化しているにもかかわらず、選挙の設計と運用がそれに追いついていないという点です。
成田氏は、以下のような解決策を提案しています。
1. SNSやウェブメディアに制限をかけること
- SNSなどのメディアに速度制限や人数制限を導入するとともに、情報カテゴリーごとに課税を行う。
- 危険と判断される人々の間のコミュニケーションはブロックやミュートする。
- ただし、これは言論の自由と表裏一体なので、透明性の高いルールやアルゴリズム設計が必要である。
2. 政治家への長期成果報酬制度を導入すること
- 政治家が短期的な目標にばかり目を向け、ポピュリズムを増進しないように、政治家が退任した後の未来の成果指標に応じて引退後の成果報酬型年金を出す。
- ただし、多様で長期的な成果指標を設定する必要があり、実現は難しい。
3. 選挙制度の改革を行うこと
- 国会議員に定年を設け、未来に責任感のある世代を選出できるようにする。
- 世代別選挙区、投票者の平均寿命による票の重み付け、選挙権のない子供の代わりに親が投票する権利、マイノリティのみが投票できる選挙区を導入する。
- ただし、全ての若い世代が未来に責任を持った行動や思慮を巡らせているわけではないとのデータも存在します。
4. 投票装置をユニバーサルデザインにすること
- 投票方法を現在の形式からよりアクセスしやすい形に変更し、識字率が低い貧困世帯でも投票できるように、分かりやすいデザインの電子投票装置を導入する。
- しかし、既存の選挙制度で当選している国会議員が自ら選挙制度を変えるかは疑わしい。
- 成田氏はここで、「選挙で何かを決めなければならない」という固定観念を捨てる方向への議論を展開しています。
成田氏の無意識民主主義では、データベースに対する依存度が一般意志2.0とは全く異なる。成田氏によれば、精緻な意思決定アルゴリズムによって、データベースから自動的に解決すべき無数のイシューや論点の目的発見がされ、さらにその解決策まで提示・実行されるという。意思決定アルゴリズムに長期成果指標を持たせることで常に未来志向の結果が誘導され、機械学習によってその精度は上がっていく。
また、各イシューごとに、誰の意見にどれだけ影響力をもたせるか(票の重み付け)も自動的に調整されるため、多数派が優遇されることもなくなるという。目的発見も意思決定も完全に透明・公開されたアルゴリズムで行うため、全てにエビデンスがあり、人間は機械の指導に従って行動するようになる。つまり、政治の意思決定から人間が退場する。
出島社会のすすめ
基本ビジョン
17世紀のオランダ人は鎖国中の日本を訪れる選択肢を持っていた。
死のリスクを犯しさえすれば。ただ、日本を訪れたオランダ人が日本人に絡む自由を持っていたわけではない。長崎の出島という壁で囲まれた人工空間にわざわざオプトインしてきた日本人のみが、オランダ人と交信した。これが隠喩としての出島である。
出島たちが散らばるウェブは、そこそこデフォルト閉鎖されたコミュニケーション空間の個別最適自動生成である。
現在のインターネットでは、精神と時の部屋のような人々を見渡せる開放空間が原点にあり、壁を敷くことが意識的な選択だ。開放空間は無料(という名の広告を通じた行動課金)のデフォルトで、閉鎖空間が有料のオプションである。これを逆転してみる。可能な関係の多くが自動生成された壁で塞がれた状態がデフォルトで、その壁を超えた出島での交信が人間の意思になる。
壁は対照性を持つ。
想像してみよう。デジタル化され個人化された壁を張り巡らせて作られる
「出島網(デジマウェブ)」
1) 出島のために壁を敷く
2000年代以降のウェブデータには著しい特性がある。
個人や個人間の関係(ネットワーク)だけでなく、
コミュニケーションという関係性の変化や関係上の情報・情動の流れを捕らえられるようになったことだ。
各個人がどんな属性の持ち主で、過去にどんな言動やコンテンツを生成したのかだけでなく、誰とどんな風に絡んでどんなコミュニケーションが発生し(なかっ)たかのデータが貯まっている。
コミュニケーションデータは、コミュニケーション不全を教師付き機械学習することを可能にする。「どんな特性や履歴の人同士がどこでどんな風に出会うとコミュニケーションが毒物化するのか」の学習だ。
学習結果を使えば、生まれてこない方がよかったコミュニケーションを予知できる。まず、まだ出会っていない人々同士の仮想のコミュニケーションの行く末を予測する。世界認知が隔絶しすぎていて、接触したところで相互理解など不可能、単にフリーズや拒絶反応、罵詈雑言、一方通行の嘲笑や粘着や説得ごっこに終わるしかない、混ぜるな危険度の高い人々の組み合わせはどれか判定する。判定はプラットフォームのプログラムが自動で行い、データの変化とともに絶えず更新していく。
仮にXとYの二者は混ぜるな危険だと予測されたとする。ステレオタイプな例として、新型コロナウイルスはビル・ゲイツが開発して中国共産党と結託してばらまいたという物語に心が高鳴ってるトランプシンパXと、Xと引き合わせれば憐れみの視線で「客観的事実」や「エビデンス」を挙げながら説得をはじめるファクト野郎Yを考えれば良い。
そんなXとYは接触しないよう壁を敷く。相互ブロック・ミュートを代行すると言ってもいい。誰かを非対称に排除するのではない。両者を対称的にミュートする。XとYの関係は壁がデフォルトとなり、愛憎も憐憫もない、無関係による知らない幸福が機械的に成立する。
その精神はこうだ:
「何もしない。求めない。協力しない。一見、最大に不親切であるような姿勢が、その実、他人に対して最大の親切になりうる場合があると知りましょう。」
(叶恭子『あなたの心にファビュラスな魔法を』)
2)壁で挟まれた出島に入る
デフォルトでは閉じた関係が開くこともある。
XやYが意識的に望めば壁を越え、反対側にオプトインできる。
ただ、壁を壁たらしめるため、オプトインは有償だ。
オプトインの代償は金銭で支払われるかもしれないし、
時間(情報や接続の遅延)など他の形態でまかなわれるかもしれない。
言語による支払いという可能性もある。
情報の一部が別の言語に勝手に機械翻訳されたり雑音が入って鬱陶しくなるイメージだ。
そして、Yのような混ぜるな危険な者の側にオプトインする者は、
Xに似た者たちとコミュニケーション不全だと予測される可能性が高まり、
X的世界からは隔離されやすくなる。これもオプトインのさらなる代償になる。
代償を伴うオプトインの先にあるのが、異界からの情報に晒される「出島」だ。
Xがオプトインした出島ではXがYからの情報を浴びることができる。
ただ、まだXとYが直接交信することは避ける。
Yもまた出島にオプトインしない限り、XがYに絡むことはできない。
出島はしたがって、XとYの二枚の壁に挟まれた場所で、
それぞれの壁は一方からしか見えないマジックミラーである。
スイスチーズとしての出島、あるいは電脳のバベル
しかし、すでにグニャグニャ論じた通り、
はなから不可能な相互理解の幻想こそが問題を悪化させている。
誰かに見せびらかすための歩み寄りはステレオタイプなラベルづけにいたることが多く、
ラベルづけされた者は拒否反応で先鋭化、ますます相互不信と両極化が深まる。
結果として、技術的には事実が共有しやすくなればなるほど、
コミュニケーションがしやすくなればなるほど、
分断がむしろ広がっていくというアリ地獄に人類がはまり込んでいる。
夢破れた現在の人類は、即効性のある劇薬に頼るしかなくなっている。
断絶するいずれかの陣営を何らかの正しさの基準で裁断する非対称な審判だ。
「フェイク」や「陰謀論」を通報し、警告し、凍結し、排除する。
米国議事堂ジャック事件後のトランプの排除がその里程標となるだろう。
しかし、この即効薬には明らかな副作用がある。
ホロコーストという禁じられた手段と同じ、一方を排除して他方を承認する非対称性だ。
では、対称性を取り戻すことは本当に不可能なのだろうか?
相互理解の理想の不可能性を踏まえながら、
しかし理想の持つ対称性という美点を現実に注入したい。
その試みが出島網構想だ。出島は対称性を持つ。
感染症対策についてよく語られる、
いわゆるスイスチーズモデルも良い比喩になるかもしれない。
壁で挟まれた出島はスイスチーズの一枚のスライスをかたちづくる。
出島群というスライスチーズの束が通過速度を緩めるのは、
混ぜるな危険なコミュニケーションや、
分断解消ブランディングが作り出すラベルづけ→
拒否反応→不信嫌悪の増幅伝播だ。
冒頭の旧約聖書に描かれたバベルの塔の一節を思い出そう。
交われない多様な言語と文化の喧騒(=「バベル」)を、
デジタルに再生できないだろうか?
溶解せず劇物反応しない幸福な分断をデザインできないだろうか?
「情報→対話→理解」というバベルの塔にしがみつく人類への
新たな一撃のデザイン──それが出島網構想だ。
感染症によって図らずも日本と世界が鎖国に追い込まれた現在は、
出島社会に向けた格好の出発点である。