人間機械論
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原題「人間の人間的な利用」
1954年
前提知識
彼は親が言語学者、早熟の天才であり、広範な学術知識を持つ。
ハーバード大学では動物学を専攻
その後同大学で哲学を専攻
18歳のときに、数理論理学に関する論文でハーバード大学よりPh.D.を授与。
その後百科事典の編集を経て、MITの数学科教授に。
第二次大戦中。彼の射撃制御装置に関する研究は、
これらを通信理論への関心と総合し、サイバネティックスを定式化された。
時は、第二次世界大戦直後。
特にアメリカ人向けに書かれたということも著者が述べている
不確定性と偶然性を考慮 統計力学
”このような不完全な決定論、
すなわち非合理性に近いものが世界に含まれることを承認することは、
ある意味では、フロイトが人間の行動と思考に深い非合理性が含まれるとを認めたことと並行している。今日のような政治的および知的に混乱した世界では、ギッブズとフロイトと近代的確率論の唱道者たちとを一まとめにして同一の思潮の代表者たちとみなすことが自然な傾向である。私はこの点を強調したくない。”
ギッブスのおかげで、
物理学は何が圧倒的な確率でおこるかということを扱う学問になった。
確率は道具でなく物理学そのものになった
サイバネティックスは、人間や動物、機械、社会システムなどの制御や通信のメカニズムについて研究する学問分野で、広い意味では「制御と通信の科学」とも呼ばれている ウィーナーの「確率論的物理科学」の確立は、1920年であり、ハイゼンベルグの「不確定原理」の確立は1927年のことであった。ハイゼンベルグは「量子」における確率論をとなえたが他に関しては依然として因果律を守った。
ウィーナーの確率論的物理学・確率論的理論と測度としてのエントロピー概念の活用が、サイバネティックスの核心となる。
つまり確率論的物理学を規定としてた、情報理論と制御の理論としての学際理論
ウィーナーの「情報」の概念
それ自体の中に科学性(数学論理性)も
物理性も機能(作用的実践性も内含したもの。
「科学・工学・技術・エンジニアリング」の全体系と工程を一つの概念に抽象化した、すなわち論理性・存在性・実践(機能・作用)性を内含し、概念性とエネルギー(物理)性・自己意思性をもった「一つの概念物質」としての「情報」
ウィーナーの「研究」は、常に概念化とその具象(経験世界化)と再概念化の繰り返しの中で抽象化と抽象の高度化・充実化・階層構造化がダイナミックに遂行されるかたちを取る。帰納論理・機能主義・実証主義・数理論理といった哲学の流れの中に彼は立っているのである。帰納の極限にいたって演繹をものみこむ「一つの概念物質である」である「情報」というものを創出・造形・社会現実化(オーソライズ)させたのである。
伝達と他者
フィードバック
会話や通信はその前の通信の情報を含む
人→機械=機械→人
引用
制御と通信においては、われわれはつねに、組織性を低下させ意味を破壊する自然界の傾向と戦っているのであり、この傾向は、ギップスが示してくれたように、エントロピーの増大ということである。
フィードバック
行動が示される時、それについての情報を受け取る必要がある。
つまり因果には時系列性があり、出力にはフィードバックが伴う
人間の非人間的な利用
つまり一方的な命令。フィードバックなし
情報は組織の随伴物である
人か機械か、生命か非生命かは意味論の問題で、極論は解釈
非号目的なものが、目的的に挙動する
進化ダーウィン
残留するパターン アシュビ博士
準平衡なパターンは持続する
見かけ上目的的な組織と言うものは、それが機械的なものであると同時に生物的なものである
フィードバックとエントロピー
2つの系が接合するとき、フィードバックの関係が生じる
あるいは、ある一つの系が、別の大きな系に内包されるとき。
その定常状態はフィードバック的に保たれるようになる
情報には所有も保存もない
通信そのものがフィードバックする。
通貨や情報そのものがフィードバックする(自律記号創発) サイバネティクス的意味論(セマンティックス)
通信文の伝送や加工は、新しい情報が、感覚器または記憶装置から加えられないかぎり、含まれる情報の量を減少させる。
このことは、すでに示したように、熱力学の第二法則の言いかえにすぎない。
サイバネティックスの見地からみた意味論的情報
セマンティックに意味のある情報
それを受けとるシステムの中の活動機構を、
人間や自然の妨害作用にもかかわらず通過する情報である。
つまり、サイバネティックスの見地からみれば。
セマンティックスは、意味の範囲を限定し、通信システム内でのその損失を制御するものである。
Miyabi.icon可読性と制御のための意味論
コミュニケーションから見る法体系のシステムと倫理
法律はコミュニケーションおよびその一形態として定義する。
規範的側面が或る権威の管理の下にある社会において、言語を倫理的に管理するものと定義できる。
法律とは、諸個人の行動の間の「結びつき 」 を調節して正義が履行され、
紛争の裁定を可能にするプロセス(手順・方法)である。
したがって法律の理論と実践は二組の問題を含んでいる。
一般目的およびその正義の概念の問題
正義が実行されうるようにするための技術の問題。
法律の役割と性質
特定の明示的な状況において個人に与えられる義務と権利を明確に定めること。
特定の権威者の意見や解釈に依存せず、できるだけ独立した法解釈体系が存在すること。
解釈の再現性は衡平の基礎となるため、再現性がなければ衡平は実現できない。。
このため、判例はほとんどの法律体系で重要な理論的な役割を果たす。
法体系の理論的支柱
抽象的な正義の原則に基づく法律体系
ローマ法とその派生法。
判例が法律思想の主要な基盤の法体系。
イギリス法など他の法体系
刑法の機能合理でない矛盾
四つの異なる方法で遂行される四つの異なる事業を一つにしている。
犯人に対するわれわれの態度全体の中に矛盾がありそう。
現在では、刑法は或る時にはある解釈をとり、また或る時には他のある解 釈をとっている
将来起こりうる他の犯罪を思い止まらせるための威嚇
犯人にとっての罪滅ぼしの儀式的行為
犯行が繰 返される危険からの社会を保護するもの
犯人を社会的および道徳的に矯正するための手段。
法の進化を仮定する。
ここは、法をコミニケーションと制御の問題に還元する為の思考実験的手続き。
その法律が何を欲するものであるかをはっきりさせる。
立法者または裁判官の第一の義務は、 専門家ばかりでなく、その時代の普通の人が唯一つの仕方で解釈するような明瞭で曖昧さのない陳述をすることにあると仮定する。
過去の判決を解釈する技術は、弁護士に、法廷が実際に述べたことや、これから言おうとしていることを高度かつ正確に知ることで、得をする技術でなければならない。
こうすれば、法律の問題は
コミュニケーションとサイバネティックスの問題、すなわち、ある種の臨界的な事態を秩序正しくかつ反復可能な仕方で制御する問題となる。
意味論的に一致しない法の問題
法律の特定の分野では、法律の表現と実際の状況との間に完全な一致がないことがあります。
このような理論的な不調和が存在する場合、異なる通貨体系や法廷の間で一致しない領域が生まれます。
そこでは、不正行為をする仲介者が登場し、自分に都合の良い制度でのみ支払いを受け取り、最小の犠牲を払う制度の下でのみ支払いをします。
犯罪者にとって最大の機会は、法律のギャップで不正行為をする仲介者として存在すると言えます。前の章では、雑音が人間のコミュニケーションを混乱させる要因であると述べましたが、法廷で使用される言語に関しては異なります。法廷の言語では意図的な誤解や曖昧さが存在する可能性があります。
闘争的な法システム
闘争的な法システムの本質は、少なくとも三つの当事者が参加する会談にあります。
例えば、民事訴訟の場合、原告と被告、そして司法側が関与する。
このゲームは、フォン・ノイマンの定義に基づいた完全な意味でのゲームである
このゲームでは、原告と被告は法典によって制約された手法を用いて、裁判官と陪審員を自身の側に引き込もうと試みる。
このようなゲームでは、相手方の弁護士は、相手方が送る通信文に混乱を引き起こすことができる。
彼らは故意に相手方の陳述を無意味なものにし、裁判官や陪審員との間の通信に故意に干渉する。
この干渉においては、しばしばブラフが頻繁に行われる。
訴訟においてはブラフや故意に情報を隠すことが許容されるだけでなく、奨励される場合もある。
情報と秩序とエントロピー
金は特別安定な種類の物質である。
これに反し、情報はそう容易に保存されることができない。
なぜなら、伝えられる情報の量は、エントロピーという非加算的な量と関係があり、
しかもエントロピーとは符号と数値係数が異なるだけである。
閉じたシステムの中ではエントロピーは自発的に増大する傾向がある のに対し、情報は自発的に減少する傾向がある。
また、エントロピーは無秩序さの程度を表わすのに 対し、情報量は秩序性の程度を表わす。
情報とエントロピーは保存されない。
意思決定の機械
決定を行なうことができる壷の悪魔のような機械は、われわれがなすべきであった通りの決定や、
われわれが受けいれられるような決定をするように強制されていることは決してない。
↓
このことを知らない人間が、機械に自己の責任の問題を委ねることは、
その機械に学習能力の有無に関わらず、自分の責任を風に委ねるようなもの。
↓
そのうえで、機械の中の一要素として使われているものは、やはり機械の一要素。
われわれは、われわれの決定を金属でできた機械に委ねようと、
役所や大研究所や軍隊や会社という血と肉でできた機械に委ねようと、
われわれが正しい問いを発さずには正しい答えは決して得られないであろう。
miyabi.iconすごく真っ当。