ノーバート・ウィーナー
(3) 開放系から閉鎖系へ
サイバネティクスの議論が本来の意図とは逆の文脈で受容されてしまった原因となるだけでなく、ウィーナー自身が生命体と機械と のあいだに明確な境界線を引けなかったという点があげられる。これはその理 論が、生命体を開放系 (open system) としてモデル化したためだったと言ってよい。生命体を入出力のある開放系と見なすかぎり、それは電子機械と等価になっていかざるをえない。すなわちウィーナーの古典的サイバネティクスは生 命体の行動をあくまで外部から観察するモデルであり、生命体自身が環境を内 部から観察し、自ら認知世界を構成しつつ行動しているという観点が欠落して いるのである。本質的なのは、激流を進む舵手の行動を外側から観察記述する ことよりむしろ、舵手の視点に立って内側から観察記述することなのだ。
この点に注目し、生命体を一種の閉鎖系 (closed system) としてとらえたの が、物理学者ハインツ・フォン・フェルスターの二次サイバネティクスであり、 また、フェルスターと交流のあった生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフラ ンシスコ・ヴァレラのオートポイエーシス理論だった。そこでは生命体が自ら を自律的に創りあげるメカニズムが語られる。こうして、他律的プログラムに したがって作動する機械との顕著な相違が明確になる。オートポイエーシス理 論は社会学者ニクラス・ルーマンによって近代社会のモデルとしても活用され、 さらに、文学システム、身体システム、情報システムなどへの適用するための格 れつつある。これらはまとめてネオ・サイバネティクズと呼ばれ、 21世紀の総合知として大きな期待を集めている。