XRメディアの表現と「現実」
空間表現によって〈体感〉を形作る事が可能であり、即ち必然として〈体験〉を生成メディア装置である。
現実以下を上限とした視覚的な高解像度から、夢想する限りの3次元のあらゆる構造物、及び空間を体験出来る。
夢の中に例えてもいいだろう。
✅AR
VRとは似た技術だが、アプローチや思想は全く真逆と言っていい。
こちらは五感を含む高解像度な現実に対して。人間の理解度を高めるような抽象化及び注釈的な情報を施したり。
あるいは、デジタルな仮想オブジェクトを表示して。現実空間でのデジタル的な、
もしくはコンピューター的なものに対するインターフェースの機能を果たす。
このようなMR的〈新たな現実〉の正体は、
抽象度の高い〈人間的なデジタル〉を、
抽象度が低く無限に高解像度な〈現実世界〉に投影して、
現実と解釈という脳内的な風景が現れたものだと整理できる。
現実に滲み出す主観的世界と言ってもいい。
✅情報の尺度
XRを単に「現実の解像度を高める」とか、「現実を拡張する」と捉えるのは、開発者目線では適当ではない。
注意したいのは、これらは人間尺度で有意義な、情報の副次性*2を高め、
結果として理解度を深めることに寄与するのであって。
あくまでその拡張部分は抽象的であって、その解像度は無限ではない。
重要なのは、具体と抽象までの異なるレンジの解像度を横断するような
「空間」としての圧倒的自由度である。
*情報の副次性
理解の次元である抽象と、現実的解像度の具体を併せ持つような副次的情報。
りんごであれば🍎は抽象的だが、
文字よりは視覚イメージを含むので情報の副次性がある。
MRやVRでは、こうした具体性と抽象のレンジが著しく広い表現を用いて、
事象を「体感」することによって、理解の解像度が飛躍的に向上できる。
✅現実≒ゲームの強調現実性≒XRのゲーム性→超現実
◆ゲームの強調現実
ゲームは入力機と、それに適切にレスポンスを示して演出を行う出力機によって、
擬似的に体感をつくりだせる。画面である以上没入感はそれほど高く無いが、
例えばレースゲームなどで感受性の高い人は体ごと動いてしまう。
例*現実感を与える物理と応答性
スマブラでは、やられた側はフレームストップし、振幅的に微振動する。
地面では横方向のみ、地上では縦横に振幅する。(地上では地面にめり込むので縦はナシ)
これは与える攻撃の強さによって、係数的に振幅もストップする長さもいじれる。
この時、攻撃側も反対方向にややスライドするが、モーション自体は進行する。
一見これらは物理に関係ないが、端的に作用反作用が働く事を明確に示せ。
一定のアクションに明快なリアクションが伴うという、心地良いレスポンスを与える。
◆体感メディアであるXRにおいて、ソフトウェアはゲーム的に感じる
XRは体感のメディアなので、
その体験は非常に高いレスポンスがある。
アプリケーションであっても多くの場合ゲームっぽさをかなり感じることになる。