ヨナ抜き音階
西洋音楽の音階と比べた時に4番目(ファ)と7番目(シ)が差し引かれている音階。
童謡や演歌などで用いられるため「日本人に好まれる音階」であると紹介されがちだが…
日本にヨナ抜き音階はそもそも存在しなかった。
テトラコルド(小泉)のページでも紹介したように,日本の民謡や芸術音楽で古くから用いられてきた音階は,テトラコルドをベースに置く民謡音階(ニロ抜き短音階)や都節の音階,あるいはそれらの亜種である田舎節音階や岩戸調子などである。 民謡音階(ラドレミソ)とヨナ抜き長音階(ドレミソラ)は構成音こそ同じであるが,民謡音階はテトラコルドを縦に積み上げてできる音階,かつラ・レを核音とする音階であるのに対し,ヨナ抜き音階は構造がテトラコルドと全く関係ないうえにドを主音に構える音階であり,性質が全く異なる。
日本の音階は中国から伝来した呂旋・律旋が起源であり,特に呂旋はヨナ抜き長音階と同じ構造である。しかし呂旋・律旋をそのままの形で用いる日本の伝統音楽といえば仏教の声明程度であり,それ以外のわらべうた・芸術音楽などでは呂旋・律旋から派生した上記のような音階の方が一般的に用いられてきた。
以上を踏まえるとヨナ抜き音階が日本古来の音階であったとは考えにくいのである。
伊沢修二とヨナ抜き音階
明治時代初頭の日本は西洋文化を積極的に受け入れる風潮,いわゆる文明開化の真っ只中。1872 (明治5) 年には,西洋の音楽に慣れることを目的に小学校の科目に「唱歌」の科目が導入された。しかし西洋音楽の教育には当然ながら前例がないため,教材も教師も存在しなかった。
そんな中,1880 (明治13) 年に音楽取調掛を設置し主幹になった人物こそ,幕末から既に洋楽を学びアメリカ留学の経験もあった伊沢修二である。
日本と西洋の音階構造の違いを何とか克服しなければ日本人はいつまでも西洋の音楽を歌えない。そこで伊沢が編み出したのがヨナ抜き音階である。
西洋の長音階・短音階(ヒフミヨイムナ)から四度(ヨ)と七度(ナ)の音を抜く。
ヨナ抜き長音階はドレミソラ,ヨナ抜き短音階はドレミ♭ソラ♭になる。
こうすることで,特にヨナ抜き長音階が西洋のメジャーペンタトニックスケールと同じ構造になるため,メジャーペンタトニックスケールを用いた長調の曲(スコットランド・アイルランド民謡など)を歌わせることが可能となる。これにより「日本の音階が総じて西洋の短音階を匂わせる」という課題を突破できる。
またヨナ抜き音階は日本民謡で用いられる音階(ラドレミソ=民謡音階・ソラ♭ドレミ♭=都節音階)を転回させたものと(結果的には)同じ音程になるため,三味線音楽に慣れ親しんだ日本人でも歌いやすく,また日本音楽のエッセンスを損なわずに済む。
よくある批判とヨナ抜き音階のスタンス
伊沢修二のヨナ抜き音階教育へのよくある批判として以下の様なものがある。
日本古来の音階は五音音階であり,「ヨナ抜き」,すなわち七音音階から「ヨ」と「ナ」を抜くという命名は混乱を生む。
構成音が同じであるというだけで日本の五音陽音階・ヨナ抜き・メジャーペンタトニックスケールとが混同され,五音陽音階で作られた曲や西洋の音楽が「ヨナ抜き音階でできている」と混乱されてしまう。というか,現状そうなってしまっている。
日本古来の音階を起源・構造・性質も異なる西洋の長音階に当てはめるのはこじつけがましい。(日本古来の音階の構造や性質の詳細については,その後の上原六四郎や小泉文夫らの研究によって徐々に明らかになっていった。)
しかし,伊沢の使命は音楽研究ではなく,あくまで音楽教育,すなわち日本人のために西洋音楽への門戸を開き,日本人が西洋音楽に親しめるようにする,ただそれだけだった。その目的のためには,西洋音階からのアプローチは必然だし,より単純な説明ができるならそれで十分だった。
事実,伊沢らをはじめとする文部省の音楽教育への懸命な貢献により,ヨナ抜き音階のもとに生み出された唱歌・童謡はその後何代も歌い継がれるほどに愛され,同時に日本人は西洋音楽をすんなり受け入れることができた。そのうえ日本の音楽に歌謡曲・演歌・J-POP といった新しいジャンルさえも生み出す基盤にもなった。
結論:古来の音階でこそなけれど,ヨナ抜き音階は和洋折衷を実現する新しい日本的音階である。
伊沢修二こぼれ話
かのジョン万次郎から英語を習った人物の一人。
世界で初めて電話を発明した人物はアレクサンダー・グラハム・ベルであるが,彼は視話法(聴覚障碍者のための会話教育法)を考案したアレクサンダー・メルヴィル・ベルの次男であり,アメリカ留学中の伊沢にも視話法を教えていた。また電話の発明を聞きつけた伊沢が金子堅太郎とともにグラハム・ベルを訪問して通話体験をしたことで,伊沢と金子は世界で初めて「英語以外の言語による通話」を行った人物になった。
関連資料
Wikipedia
東京藝術大学ホームページ
よなおしギターブログ