メタバースの本質は何か?
日本デジタルゲーム学会
日本デジタルゲーム学会 年次大会 予稿集
メタバースが、デジタルゲームの延長線上である遊びが本質なのか、それとも仮想空間に進出した社会が本質なのかについて考察。
結論としてはまだ未完成なメディアで、どちらの側面もある。しかし将来的には遊びの面白さが規範となる社会が生まれると予想。
初めに
同社はメタバースをコミュニケーション・ビジネスツールとして発展させていく方針を取っていて、後続企業も仮想通貨・NFTといった現実社会の構造を仮想空間に進出させていく企業が多い。
近年、デジタルツイン等の現実環境をそのまま仮想空間で再現する研究が進んでおり、産業用ではない個人的な目的の物でも、同技術は現実の再現を主眼とされている。 しかしこれは2021年のメタバースにおいて行われている、VRChatやバーチャルYouTuber等のコミュニケーションを主体としたコンテンツにおいて、アバター文化といった「遊び」が重要な要素をもっているのとは対極的。 VRに現実を埋め込むMetaのアプローチに対し、Niatic社はVR中心のメタバースをヒーローが仮想世界に逃避するディストピアと批判し、現実にバーチャルを埋め込むさせるARを用いたメタバースを作っている。
matsuzen.icon現実乖離度の違いによるもの?現実乖離度が高い=ディストピアという考え、現実逃避的な解釈?(映画マトリックス的ともいえるかも) ここではメタバースの概念整理を行い、マーク・ザッカーバーグと和田 洋一の対比的なアプローチを事例に社会科学的な位置づけを行う。またメタバースの持つ社会的機能は「遊び」か現実社会の拡張なのか考察する。 メタバースの歴史
メタバースという言葉は、スノウ・クラッシュというSF小説であり、主人公はゴーグルとイヤホンを付けてメタバースにアクセスし生活や冒険を行う。 スノウ・クラッシュはVR小説の原点といえ、またOculus社の創業者への思想的な影響などVR技術への影響を持っている。
メタバースという単語がSF以外にも用いられた例として、2007年のセカンドライフがある。セカンドライフは他のゲームと異なり、運営は場所を提供するだけで、プレイヤーは現金に換金可能なゲーム内通貨を利用し他のプレーヤーと作ったモノやサービスを売買する事ができる。 現実の企業なども出店し、ゲーム内商品の売買などが行われたが、2008年以降に衰退した。
メタバースの類語として落合 陽一のデジタルネイチャーという用語があり、それは現実のものとバーチャルのものが区別できない領域に達することで達成される共生状態である。 社会科学理論におけるメタバース
メタバースはメディア論の視点で考えると、インターネットとそれに接続できるPCが組み合わさった次世代のメディアになる。
和田は現実とバーチャルが融合したシステムを「空間の共有」と表現しており、平面表現が主体の既存メディアとの違いを主張している。
スノウ・クラッシュ等の古典的メタバース論はVR等の仮想空間に限定されているのに対し、AR等で仮想空間を現実世界に投影することで、現実世界のメディア性質を変容させるという議論も含んでいる。
マクルーハンはメディアは「空間」と「時間」を編成し人間を組み替えていくものとしている。
古典的メタバースも、AR等のメタバースも「空間を共有」し「仮想と現実の境目を無くす」という点で似ている。
社会決定論の視点では技術の実現予測だけでなく、技術普及予測と技術を受け入れる土壌があるかの社会的な予測が必要。
例としてキーボードのQUERY配列は、過去に選ばれた物として後の選択に影響して今に続いていると言える。
和田はメタバースはメディアとなる可能性はあるが、現時点ではコンテンツであると解釈している。
インターネットとそれに接続できるPCの進化系である環境コンピュータが新メディアであり、その全貌は今はわからず、メタバースの発展を通じ確定する。 メタバースへのアプローチ ザッカーバーグと和田洋一の対比
ザッカーバーグによると、メディアとしてのメタバースは、テキスト・画像・動画等コンテンツとデスクトップ・ノート・モバイルというツールの経路にあるとしている。
メタバース時代においてもデジタルゲームは市場となりうる。しかしコミュニケーションを目的とした設計を最初にすると、メディア形式がまとまらず一過性の流行りで終わる可能性がある。
ゲームに限らず、テレビも最初期は既存コンテンツの映画や、ラジオなどでも行われていたスポーツ中継が主だったが、後々テレビ特有の形式やコンテンツが生まれていった。→新メディアは最初期に前世代メディアの影響を大きく受ける。
ただの現実の再現は退屈であるのでゲーム的な記号を取り込みつつ、現実に合わせてリアリティを保ちつつ、住んでもらう設計にする必要がある。
また複数人格を前提とするなどで、メタバースのメディアとしての意味や思想を作り上げることの重要性。
ザッカーバーグはメタバースを徹底して現実の延長線上に捉えているのに対し、和田はメタバースに対して様々な面において遊びが重要な役割を持つとしている。
考察
メタバースは遊びか、社会活動か
メタバースで扱われる現実の社会活動はゲーム化が可能である。またメタバースは「現実空間からの隔離」という点とにおいてゲームと位置付けることが可能である。
これはメタバースが遊びとなるか社会活動(仕事)となるかはその設計に依存することを意味する。
メタバースが一度設計されるとそれに対して経路依存性が働き、社会評価や法整備などを通じて仕事・社会的コミュニケーションツールとして自己組織化を繰り返すことになる。これにより、仕事や社会的コミュニケーションのツールとして定着すると、遊びの要素であるマルチバースの自由度が大きく制約され、現実社会同様人格の連続性が必要とされるだろう。
遊びの要素が減らされた、最初から仕事や社会的コミュニケーションツールとしてのメタバースは誰に対して需要を持つのだろうか?
川上 量生は2010年代ごろのWebでは、現実の社会制度や人間関係をそのままインターネットに持ち込むネット新住民の流入が、ネット内部に独自の文化を構築していたネット原住民との亀裂を産んだ。 注目すべき点として、ネット原住民は現実の人格とネットの人格を切り離しているのに対し、ネット新住民はそうではないという点で、この論よりFacebook社はネット新住民向けにメタバースの大規模な再構築を試みていると言える。
仮想通貨・NFTはメタバースに必須の機能ではないが、メタバースの機能や文化に対して興味を持たない層に対してビジネス的なメリットをもたらすという点がある。
メタバースがほかのメディアと異なる点は没入感・臨場感という要素があり、これは従来のメディアと接触しながら体験することを不可能としていく。
メタバースにが普及すると、それ以外のメディアに対する処分時間を減少させ、物理的な物から低コストのデジタル財に消費需要を変化させる。
メタバースの発展による帰結は人々を現実から切り離す社会的機能を果たすといえる。
ウルティマオンラインの事例から
ウルティマオンラインは遊びであったにもかかわらず、ユーザーたちがゲームシステムを活用し事実上の仮想社会というものを機能させていた。
この社会は「遊び」を主体とした現実社会と異なる規範で動いていたということになる。
ウルティマオンラインの事例から生存や慣習といった制約がない仮想空間でも、人は社会を作りそれは現実と酷似する一方根幹となる規範は遊びとしても面白さという点である。
結論
メタバースはメディアであり、短期的には経路依存性から「遊び」か「現実社会」かの側面が強く表れるが、長期的に遊びが規範となる仮想社会を生むと予想できる。