2022-10-08 10:09:33
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(OCR text)
下社の神宮寺の院坊堂宇配置について
明治維新までの下社秋宮・春宮は、ともに立派な神宮寺 (普通
名詞) と融合した存在でした。 ところが、新政府の「神仏判然令」
をきっかけに、仏教関係施設のすべてが廃絶・解体され、その
跡はほとんど忘れられかけていました。 今回、諏訪神仏プロジェ
クトをきっかけに、仏教関係施設の配置の調査・研究が改めて
行われ、150年ぶりに概ね明らかになったものです。
下社関係の神宮寺には、以下の諸寺院がありました。
1. 海岸孤絶山法性院神宮寺=下社神宮寺(秋宮)
本堂(千手堂)、三重塔、 本坊など立派な伽藍を持ち、 戦国末に
は6院20坊と末寺5ヵ寺を抱えていた大寺院。 下社の神宮寺の
筆頭であるため、本企画展では「下社神宮寺」と呼んでいます。
2. 三精寺(秋宮)
現在の秋宮境内にあり、神前での護摩行などを担当していまし
た。 御射山信仰に深くかかわっていたという説があります。
3. 観照寺 (春宮)
現在の春宮境内に立地。下社本地仏(神様の根本の姿と考えら
れていた仏様)が千手観音であるのに対し、 春宮本地仏として
薬師如来を祀っていました (敬愛社宝光院蔵)。
復元手法について
きりゅうしょ
下社神宮寺には、江戸中期1742年成立の「起立書(由緒書)」が
残されています。 その詳細な記述と、各種古地図、 明治時代の
住宅地図などを照らし合わせ、さらに現地踏査を重ねて推定し
ました。 (調査・作図: 神仏プロジェクト企画局/スワニミズム)
復元マップの見方
ベージュ色のベース=下諏訪町道路・家屋図
青色のぼかしと文字= 戦国末に存在した院坊堂宇
※正確な敷地と建物の記録はないため推定
※安土桃山~江戸初期に順次退転・統合
赤色のぼかしと文字=江戸中期に存在した院坊堂宇
※ 「玄奘坊」以外は明治初期の神仏分離時まで存在
※神仏分離時に存在した樹木などの名跡も示しました
赤色の線と文字=位置・大きさがほぼ確定できる建造物
水色の線と面=神仏分離時の河川・水路・池・泉
③ 赤丸数字=その院坊堂宇にあった仏像等の所蔵・公開寺院
※写真パネルや諏訪市博物館の企画展、 『諏訪神仏一斉公
開マップ』など、 プロジェクト共通の寺院番号です。
※写真:三好祐司 (諏訪神仏プロジェクト公式写真家)
照光寺蔵(版木) 下社神宮寺境内図
(江戸後期? この白い部分は版木が欠落)