あたりまえインタフェース
(2017/12/24)
簡潔で便利なインタフェースは業者が作るものだという意識が蔓延してないだろうか? たとえばAppleが便利なインタフェースを発表したら、「なるほどメーカが工夫したんだな、便利そう」とは思っても「これは論文になってるのかな」と気になる人は少ないと思う。 そういう例は昔からとても多いと思われる。Suicaや自動ドアは論文になってないだろうし、誰もが使うGUIや開発者が使うInterface Builderもそれ自体が論文にはなっていないだろう。自動ドアが無かった時代に自動ドアを発明しても論文にはなりにくいだろう。
すごく考えたり実験したりした結果としてシンプルで使いやすい洗練された新インタフェースができても業者がちょっと工夫したあたりまえなものだと思われる可能性が高いのではないだろうか。一旦あたりまえだと思われたら、それがいくら新しくて便利で画期的なものであっても、愚かな査読者は「あたりまえじゃん」と思ってリジェクトしてしまう。査読でリジェクトされたら論文にならないから、シンプルで洗練されたものを作る人間は論文の数が少なく、研究者と認識されていない可能性すらある。
一度見ると忘れないようなインタフェースのイディオムが重要だと言われるが、一度見たら忘れないようなものはあたりまえだと思われる可能性も高い。私は常々未来の常識を発明したいと思っているのだが、本当に発明したら、見た瞬間にあたりまえだと思われてしまうかもしれない。ウィンドウやメニューのようなGUIも、はじめて見た人はあたりまえと思ったのではないか。そう思われたが最後、論文になる可能性が低くなってしまう。
実は自分の周囲でそういうことが多いようで困っている。これまでGear, SmoothSnap, Gyazo, Serencast, Gyazz, QuickMLなど、簡潔で使いやすい新インタフェースを色々作ってきているのだが、論文投稿するとすごい勢いでリジェクトされる。一方、他人が作った何かを評価するだけでもアクセプトされることがあるようで、ポケモンGOがどう使われてるか調べたみたいな論文が計算機関連の学会で沢山発表されてたのにはがっくりした。また、ユーザがとても少ない特殊な工夫も何故か論文になるようで、先日参加した/WISS2017という学会ではそんなのばかりで閉口した。つまり誰が使うかわからない特殊なものほど論文になるわけである。その手の研究をする人は良いものを作って世の中を良くしようという考えが無いのだろうか? 未来の常識とかイディオムとか発明したくないのか? 2017/12/24 12:55
2023/1/4