作品/制作への関わり方について考える
高校の卒業制作から、この1年間でアップデートされた私の作品/制作への関わり方を見つめて纏め直す
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ここ一年の制作アイディアを得る時の発想点(プロセス)、最終成果物
身体構造、しくみについて取り上げる
感覚
五感
身体と外界が触れる場面、境界、認識する時
生命のサイクル
なぜ身体?
実際の体験に基づくアイディア
当たり前を問う
気にしてこなかった点に着目
自分の目で見て足で歩いて得た事から思い出す
案外アイディアは身近に溢れてる、世界とか宇宙とか壮大じゃなくていい、半径1mで考える
みんなが見てる方向の別視点から見て考えてみる
私なりの捉え方をして、既存の認識を再構築する
アイディアを得る発端は案外世に溢れてるものでも、見方で変わる
粘り強く考えて頭がパンクするぐらい考えて脳に汗をかかせた結果、(考えている時のアイディアや言葉は全てかき出す)多くの案から絞り出す
使わなかったアイディアは次の作品にしたり、共通項を見つけ出したり
電通の100案みたいなもの
鑑賞者に気付きを与える、問題提起
どれも異なるコンセプトだけど大枠で見れば案外近い?
身体と生活
揺らぎや儚さ
友達には作品をみれば愼が作ったものだってわかる、と言われた
説明がつかない時もある
急に思いついた、現れた、なんとなくぼやっとひらめいた,みたいな
こうしたら面白いんじゃない?と感覚的に進んでいって結果的に面白いものができたりする
過去何かで見た事柄が急に脳内でくっついたりする
過去見ていた映画と、街中で歩いてる時にみたショーウィンドウのビジュアルデザイン、とか
純粋に、読んだ映画や本,鑑賞した作品や,、日常生活の疑問の解消法が作る事、生み出す事だからわたしは制作する
素晴らしい作品を見て、むずむずしたりワクワクする感じ、その衝動をどうにかしたい!と思う
それが楽器を弾く人もいれば料理をすることの人もいる、運動に打ち込む人もいるかもしれない。わたしは美術だったというだけ
誰かに依頼されるわけでもなく、この衝動によって生み出される
私が私の(発散の)ために作ってる
その作品を見た人が共感して同じように疑問に思ってくれたり、新たな気付きを得てくれたら喜ばしいな、という感じ
あくまでも自分本位
人に対してものずくりしていくデザインとは大きく異なるかも
自己を解放し、私と対象物をみつめる
コンセプト重視で作ることが多い
自分が納得したコンセプトが決まらないと着手できない
「とりあえず手を動かしなよ、作っていくうちに面白いものができるかもよ。」「最初想定してたものが最後に完璧にできるなんてことある?手を動かして気付くことや、動かしたらこっちの方がいいじゃん!とかあると思うよ」と教授に言われた
作る時、どうやって作ろう…はあんまり考えてない
とりあえず何がしたいかを決める
制作費とか機材とかは後から考える
最初からこれを考えて、そこがネックになって作れないなんて勿体ない
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今後
ポジションをとる
単一の知識だけでは勝てないので、組み合わせてユニークさを持たせる
俯瞰して相手が興味を示すところを探る
相手が絡むメリットは何か考えポジションを決める
→相手が何を持ってて何を持ってないか見る必要性がある(常にメタ認知をすること)
これこそ多趣味な人が価値を出せる点
自分がどのポジションにいるか
個性を絞り出す/客観的に周りと比較してみる
他のアーティストと何が違うのか
自分の作品のポイントは何か
他の人がとっていないポジションに立ちたい
どういうスタイル(思想だったり作風)で攻めていくか、何で/どこでポジションを取るか
複数の意味を持たせられる作品を作りたい
一つの解釈、コンセプト通りに伝わるのを望んでる自分がいる
鑑賞者に委ねる
スペキュラティブデザイン
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こういうことを考えるのやっぱり嫌いじゃないし苦痛じゃないな、好き
向いてることだ
美術ってとことん自分との対話な気がする
人と話していくうちに自分のことが見える時もあるし、自分一人で考えて見える時もある
必ずしも(多くの人がイメージするような)孤独な環境で作業、ということでもない
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クリエイターとしての将来のビジョン
美術/就職/将来
人間が合理性を重視しすぎることのデメリット_ChatGPTで遊ぶ
アートを求める意味とは
自己分析/解剖
#武蔵美