音楽理論についてのお気持ち
音楽をなんだと思っているかによる理論の分類(偏見)
和声法
音楽を、その瞬間に鳴っている音集合の時系列だと思っている
ある調における音集合をT/SD/Dに分類して、カデンツ(T->SD->D->T)を基本的な動きとしてここからいろいろ拡張する。
ある和音のときのある音程は次の瞬間どういう音程になきゃいけない、みたいな規則がいっぱいある(進行規則)
和音の記法が独特(うんち)
対位法
音楽を、旋律の集合だと思っている
和声法より歴史は古い。
パート間のどういう音程がどういう風に解決するべきかみたいな経験則の集まり。
じつは和声法の進行規則はもともと対位法のそれを継承しているだけだったりする。
コード理論
和声法にいろいろ拡張を加えた上で規則をいろいろ改変したもの
進行規則は和声にくらべて緩めになっているが、アヴォイドノートとかの禁則はそこそこあり、なぜそれがダメなのか深堀りすると結局和声理論由来だったりする。
コードの記法がいまいち統一されていない上に古典和声と非互換(うんち)
モード理論
もともとはアレンジの理論じゃないかという気がする。あんまり理論としての核がない印象
調を一般化したスケールにしたがって、アレンジしたり曲の雰囲気を変えたりする。
「なんのルート(ベース)音上、どの音集合の音が鳴っているか」に注目して、これを変えたりしてアレンジする。
総じての印象:
体感に結びつかないと納得感が薄い。
現代的な理論は、こういう概念があります、だけで、利用指針とかがなにもない。何でもあり。究極単にあらゆる音集合に分類ラベル張っただけみたいな。
やたら複雑なコードネームとかはそういう印象がある。しかも統一されていない。
古典的な理論は、これこれはダメです、だけで、なぜダメなのかの説明が薄い。
まぁ経験則なので仕方がないといえば仕方がない。
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具体的な曲を分析するときの語彙だと思ったほうがよさそう
「この曲の印象的なこの部分はこういう説明が付けられる」
理論のポイントは印象を言語化できることにつきる気がする。
⇒自分で書く時のボキャブラリーにできる
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自分は音楽をなんだと思っているか?がマッチする+その最小単位をよく”体感”できる理論を第一に据える。
自分は最大2~3声重なったメロディの良し悪し、しかわらないので対位法的な視点がしっくりくる。
曲を書くにしても、一番実感にちかい2~3声のフレーズ重ねて、和声感が欲しくなったら、それに破綻しない和声を振りかける感じになる(和声感の実感 < 重なったフレーズの実感 なので認知上そうなりざるを得ない)
これは人によると思われ、いろんな和音(コード)を聞き分けられてその印象も実感できるなら最初にそれを据えてもいい。