Radio生収録「倉下さんと打ち合わせじみたトークライブ」
https://youtu.be/UfUkD5EhKNU
29:40
(倉下さん)GTDを学ぶためにGTDを学ぶという構造は実はやめたほうがよくて こうというと一部の人から怒られるかもしれないけれども
そうじゃなくて、いろんな人のタスク管理をみて「ここで活かされている知識の元ってどこなんやろ、この本なのか」というルートのほうがたぶんナチュラルやし、正解信仰にハマりにくい。
(中略)複数の実際例が並んでいたらそういう考えになりにくい
玄武.iconなんとなくですが、Discordで紹介されていた以下の記事のようなイメージに繋がりました。
玄武.icon体系立ててWiki的なものを作るよりも複数の実際例が並んでいて、その知識の元を辿りたいときに辿れるようしておくといいのかもしれない。
結果的に辿った知識の元がWiki的になるという構図
体系立てるにはひと手間加える必要はありそうですが。
むしろ、実際例こそが体系立ているともいえそう。
いや、例えば数学とかで日常で三角関数を使えるよとわかっても、極端な話、掛け算や代数がわかっていなければできないので、対象を創るときの知識体系(=体系立てたWiki的なもの)と使うときの知識体系(=複数の実際例)とでそれぞれある必要がありそう。
つまり、複数の実際例(=使うときの知識体系)→知識の元の羅列(Wiki的)→Wiki的な物を元にした体系立て
話がずれました。
玄武.icon最後まで聞き終えて、上のような"体系立てるにはひと手間加える必要はありそう"なことは動画中でBeckさんもおっしゃっておりましたね。
GTD(物事を成し遂げる)より、何事も成さない技術として休む技術が必要そうです。
矛と盾の話ではありませんが、GTD本とセットで置いてもいい。
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せではありませんが、GTD本を出されたら、何事も成さない技術本を差し出す。
もしくはGTD(物事を成し遂げる)と何事も成さない技術と合本。
GTD(本)から入って途中から少しづつ何事も成さない技術に入りだして、出たところは雪景色ならぬ何事も成さない技術