笑いを目的としたエンタメにおける引用
最近大喜利を始めたが、大喜利も「クリティカルな引用がウケる」という土俵で戦う引用のコンテンツなのだとわかった
あるあるの7番目か8番目を考える、という定石のひとつがある
誰でも簡単に出来る答えの導き方〜第209回タカサ大喜利倶楽部 2023.10.10 ゲスト: R藤本 赤嶺総理https://youtu.be/H5sqW-3KDcc?si=CxJr4csHhdBkq7gS
YouTubeの埋め込みデカすぎだろ
「引用自体がクリティカルである」路線と、「ありきたりな引用をテクニカルなアレンジで仕上げる」路線がある
インターネット大喜利では時折理不尽/ナンセンス系の笑いが支配している場合がある
きっかんがかなり苦手としているジャンル
あれも「頭の引き出しから持ってくる」という観点では実は変わらない
大喜利では歌詞、キャラクターやその名言などを普通に引用するし、当たり前だがそれで怒られたりはしない
本来大喜利の回答を目的としていない知的財産であり、役割が別になっているから?
きっかんの音MAD観における「音MADは役割を超越しているから面白い」に通じる部分がある
音MADはそれに対してグレーだのアウトだの言われる 実際削除もされる
実物(音声・映像・画像)を引用しているかどうかという違い?
著作権を権利者が行使する目的の一つに、「自分たちの不利益になるから」がある
だから、実物を引用することで公式のコンテンツに見える例が怒られるのはわかる
同人の立体コンテンツなどは公式っぽくなってしまうことに問題が生じていて、界隈全体で対策している
許可制でやってる即売会(ワンフェスとか)ね
生成AIによる岸田総理の変態糞土方朗読も、本物っぽさが閾値を越えていたから問題になっている
それでいうと、「大喜利の回答」という土俵の作り話ですという後ろ盾はすごい
これが少しでも事実っぽさが匂いうるのであれば、たとえ実物以外の引用でもアウトになりえただろう
前提として嘘じゃなかったら誹謗中傷すぎるだろというようなお題や回答もごまんとある
音MADも、音MADのことを知っている人は嘘だと思って見ることができる
音MADのことを知らない人は嘘だとわからないことがある
これは「音MADであるという前提で音MADを見る人が増えたほうがやりやすくなる」一つの要素といえる
「おもしろいタイミング」が競技的に意識される
内容だけでなく、その時のTPOがウケ具合にかなり影響を与える
会場の知識レベルとか手前で出ていた回答の傾向とかね
とすれば、これも「引用することそれ自体に技術が備わる」という考え方ができる
人のものを借りてくるだけのやつは能がないみたいなことをいうやつがいますし
自分は人の受け売りしか話してないんじゃないかという自信のないやつもいますが
そのため、同一のスキームや同一のミーム/あるあるであっても的確に引き出して擦れる奴がウケる
これすごいことだぞ
ニコニコメドレーの界隈では繋ぎのアイデアをつぶやくのがネタつぶしになるからタブーだという風潮がある
自分は使い方次第だろと思うが、おそらく「発明」かつ「実行」を評価する土壌にある
発明だけを評価する土壌にあるならアイデアをつぶやくのだけが評価されてもいい
まさか労力が伴っていないといけないみたいな前時代的な考え方ではないだろう
「発明」を評価する土壌と、「おもしろ」を評価する土壌は、あまりにもやってることが違う
それを意識できているのだろうか?
芸術の分野でもそういうのがきっとあると思うんですが何も知りません エーン