2025-08-16
3時間ぐらい歩いた
やれるもんだね
街中の景色に対していろんなことを考えるのは楽しい
ツッコミどころをみつけるのも
結局自分が一番やりたいことってコミュニケーションとか馴れ合いなんだなと思った
コミュニケーションしやすくするためのステータスを獲得するためにいろんな活動をしている
「承認欲求に対して否定的な雰囲気がある」のも、「実力で凌駕できていたり納得感があれば承認欲求のためにやっていても隠し通せる」のも、バーカと思っている
結局他人の思惑なんてコントロールできないし自由なものなのに、ありようを否定されたり勝手に想像されたりするのってくだらなすぎる
ステータスを獲得しなくてもさまざまな人とコミュニケーションが取れるのであればわざわざそんなことはしない(努力は美徳ではない)ので、しょうがなくやっているというのが正確なところだろう こういう話をすると、「本当にやりたい人がやるべきだ」みたいな感じの反論が想定できてしまう
しかし、「やりたくないならやるな」とおっしゃる人が、目的の達成のために代替案を提示できたところを見たことがない
もちろん、「もっと話題性があるのはこれだけれど、自分はこちらが好みだな」とすることはある
きっかんの仕事で大きい会社を望んだ理由も、何割かはネームバリューが使えると思った部分がある いわゆるステータスだと思ったということだね
実際うまくいっていて、かつちゃんと働けているのはありがたい話だ
てか現代社会の人間は多くの場合コミュニケーションが娯楽の上部にあるだろ
作る趣味とか競う趣味とか愛好する趣味みたいなのも普通のことだと思うが、そこにいる人たちの素直さに罪悪感と開き直りの気持ちを両方抱えている
雑音言ってくる奴にはうるせーって思うけど本当にストイックな人を見ると申し訳なくなる
技術の人でなく、一芸の人でないという漠然としたコンプレックスがある