動くモノを作って見せると言うアジャイルスタイルのイマイチな点
動くモノを作って見せると言うアジャイルスタイルってわかりやすいかもしれないけど個人的にはイマイチなんだよなぁ。だってあれソフトウェアエンジニアが自分達が作れるもの、出来る事しか出さないから。既存にあるものを提供するならいいんだけど、全く概念が違う物って出てこなくなるよねと思う。
まあ自分が組み込みソフトウェアが長いのもあるのだと思うけど、顧客やユーザの要求を実現するのってソフトウェアだけではなく物理的なものだったり、仕組みだったり、文書で実現する事もあるので単純にソフトウェアだけで解決できない事が多いんだよね。そして顧客もそれを望んでない。
モノを実現する手段ってソフトウェアだけじゃなく色んな選択肢があるはずなのにエンジニアって自分が持っている技術で実現できる手段で解決したがるんだよね。”実装する為の仕様が欲しい”というのもその一環で。小さくまとまろうとする。安全側に倒れようとする。まあしょうがないけど。
自分も昔は結構出来る事を提示しがちだったんだよね。だって作れない事を要求されても困るから。でもいい歳になってみるとその考え方って自分には出来ないだけで本当の顧客の問題解決の可能性を狭めてるだけじゃないのなぁとか新しい発想を潰してるのかもなーと思う。
エンジニアリングやってるときに一番思考や視野が狭くなるのって時間なんだよね。時間がないとなるとその範囲で出来る事をしようとする。これはどんなエンジニアでもそう。レベル差はあるかもだけど既に最初から出来る事だけを出す理由が作られやすい。アジャイルってそういう負の側面はあって。
ポジティブには早く動くモノで意思を合わせられるメリットはあるけど、一方で最初に動くモノを見せられると思考や視野が狭まるデメリットはある。妥協に入りやすくなる。個人的にはトータルで考えるとこの動くモノを早く見せるというのはパラダイムシフト的な物を作る場合は制約になりやすいよなと。
新しい文化や価値を作る場合って”これがいい”なんて万民が納得する事は最初はないケースが多いし、ソフトウェアだけで解決できるケースは多くはないのでそういう物を作る場合はこの動くモノを早く見せるアジャイルスタイルはイマイチなんだよねと思う今日この頃です。
まあ、世の中常に新しいモノを作る事だけが求められている訳ではないので、今ある素材で可能な延長線上のものであればアジャイルスタイルはアリだとは思うので、アジャイルスタイル自体を否定している訳ではありません。あ、そして当然個人の感想です。