コメントあると「対応しなければならない」ってなるのは諸悪の根源
コメントあると「対応しなければならない」ってなるの。あれが諸悪の根源だと思ってる。
目に見えてる問題を潰したくなるのはごく当たり前の感情だと思うけど、目に見えてるもの全て潰したからと言って完璧にはならないことは理解
する必要がある。言えるのは「目に見えるものはない」というだけで……そしてコメント対応とかだと、「見た目」のメタファすら使えなくなる。
「コメント対応」のような問題の潰し方をすると必ず歪になる。これは自分の目で見つけたものなら曲がりなりにも「自分の目」の精度は高くないものの一定の見方ではあるのに対し、コメントは特定部分になるので、一貫性のない歪になるのが確約される。その人には見えないように、はできるかもだけど。
ともかく「コメントは全て対応しなければならない」と言うのは、そのほうがいいって刷り込みだったり、対応しなければならないって強迫観念だったりで、ゼロリスク進行にも通じるものがあると思う。こう言うのがあると「コメントしたら進まなくなるし今回はやめておこう」とか変な力が働いたりする。
issueが数十件ある某リポジトリに「こんないっぱい問題あるんですね」とか言われたのだけど、ゼロにするの目標にしたりしてないし、制御できてるならそれでいいと思うんだよね。数千とかなって見る気も対応する気も失せるのとは違うと思うのだけど、ゼロありきの思考だと同じに見えてしまう。
コメントはコメント、対応するかどうかは別の問題……と言っても、スルーだとこれはこれでコメントする気が失せるので、何かしらのリアクションと言うか、変化は必要。何も変化させない行為は無駄と感じてしなくなるものだと思う。実際無駄なわけだし。
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