アジャイルを実践できるのは限られた人間だけ
私はアジャイルのプラクティスのそこそこは良いものだと思っているものの、根底に流れる思想には賛同しづらいという立場ですが、何故かと言うと全体的に「人間を理想化し過ぎ」な部分があるからです。「良い習慣をそこまで徹底してきちんと実践できるのは限られた人間だけ」でしょという。 ↓
人間という生物の「どうしようもなさ」からどうにも目を背けてるフシがある(英語圏の論者含めて)。アジャイルは言ってみれば「アンチ計画主義」から出発したような部分があるのですが、まあつまり人間の未来予測能力には限界があるっていう話ですね。 ↓
だからこそ状況に応じた変化を重視するという思想になったわけですが、どうなったかというと、非常に高いコミュニケーション能力であったり、自分を徹底して律することができる強い心だったり、普通の開発者を理想的な人間に育成できるという幻想があるように感じられる。
辺りが個人の感想です。
近年の開発界隈は、スーパーなプログラマーを想定したようなプラクティスと、どうしようもない底辺プログラマーに仕事させる仕組みみたいな話が、同じ文脈で語られていて、頭がくらくらするよ。