「好きなことをやるべき」という呪いが解けた話
僕は、黒岩に正直な気持ちを話していた。
「あれから、ずっと考えていました。でも、好きなものが何なのか、考えれば考えるほどわからないんです。もちろん、『ある程度好きなもの』は見つけられました。音楽とか映画とか。でも、『どうしてもやりたいこと』まで考えると、見つかりませんでした」
「好きなもの」はもちろん僕にだってある。音楽や映画はもちろん、食事やスポーツ観戦だってそうだ。でも、肝心なのは「どうしてもやりたいこと」がないことだった。黒岩は言った。
「君は馬鹿だな。どうしてもやりたいことがあるなら、そもそも、今、こんなところにいないだろ。重要なのは、どうしても譲れないくらい『好きなこと』など、ほとんどの人間にはない、ということに気づくことなんだよ。いいか? そもそも、君に心から楽しめることなんて必要ないんだ」
「え!? 必要ない? どういうことですか?」
「人間には2パターンいる。そして君のような人間には、心から楽しめることなんて必要ないと言っているんだ。むしろ必要なのは、心から楽しめる『状態』なんだ」
「状態……?」
「昔、私の師匠にあたる人が、成功している人間の使う言葉を分析したことがあった。彼の分析の結果、仕事を楽しむ人間が使う言葉は二種類に分けられることがわかった」
そう言うと黒岩は立ち上がりホワイトボードに書き出した。
・todo(コト)に重きをおく人間……何をするのか、で物事を考える。明確な夢や目標を持っている
・being(状態)に重きをおく人間……どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する
「まず、あるグループの人間たちは、仕事の楽しみを『todo(コト)』で語っていた。たとえば、世の中に革新的な商品を残す、会社を大きくする、などだ。一方で、仕事の楽しみを『being(状態)』で語る人間もいた。たとえば、多くの尊敬できる人に囲まれている、世の中にこんな影響を与えている、のように。つまり、仕事を楽しむための方法論はそれぞれ異なる。そこを混同するから複雑になるんだ。君は自分がどちらのタイプだと思う?」
「……僕は、todoを明確に持っている人に憧れます。でも、自分は後者だと思います」
「そうだろう。実際のところ、99%の人間が君と同じ、being型なんだ。そして、99%の人間は『心からやりたいこと』という幻想を探し求めて、彷徨うことが多い。なぜなら、世の中に溢れている成功哲学は、たった1%しかいないto do型の人間が書いたものだからな。彼らは言う。心からやりたいことを持てと。だが、両者は成功するための方法論が違う。だから参考にしても、彷徨うだけだ」
「そもそも多くの人にとって、心からやりたいことなど必要ない……」
「そうだ。好きなことがあるということは素晴らしいことだ。だが、ないからといって悲観する必要はまったくない。何故なら、『ある程度やりたいこと』は必ず見つかるからだ。そして、ほとんどの人が該当するbeing型の人間は、それでいいんだ」
(強調は出典に準じました)
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