NVCへの反論
NVCとは
Nonviolent Communicationのアクロニム
非暴力コミュニケーションのフレームワーク
一定条件下では大切なマインドセットと思うが、
他方、この考え方を聞いた当初よりぼんやりとした違和感ももっていたterang.icon
自分の違和感の言語化を助けるページがあったのでメモ
NVCは人を傷つける可能性がある。
危害を加えようとする人々は確かに存在する。
それを見ないふりするのはちょっとお花畑が過ぎるのではないか。 NVCは、人々が偶然にお互いを傷つけ合うときに機能する。
それは全員が善意を持っている場合にのみでのこと。
ある人が意図的に別のある人を傷つけたり、自分が受けるダメージを気にせずに傷つけたりする場合には、機能しない。
社会から疎外されたり、虐待されたりすると、それが一日に何度も起こる。NVCには、これを認識したり、それに応答したりするためのフレームワークがない。
誰かに権力を行使されている人who-brown.iconにとっては、NVCなんてやっている場合ではないし、who-brown.iconを著しく公正と言えない立場へNVCが追いやる。
who-red.iconがwho-brown.iconを虐待していて、who-brown.iconが大きな恐怖を感じているとき、何が問題なのか説明するためにwho-red.iconや他の人が受け入れられるトーンで物事を、例えばIメッセージで表現することは現実的ではない。 他者の表現方法へのアドバイスは邪悪。
誰かを黙らせるための内容を、相手の言葉の使い方についての懸念や、より良いコミュニケーションの方法についてのアドバイスのように見せるのは非常に簡単。(当該記事の)筆者がこれまで見てきたこの種の言葉遣いを重視するグループはどれも、最終的にはグループ内で最も人気のない人の言葉遣いを口封じの手段として厳しく批判することになった。 NVCは、たとえ相手の感情が虐待的であったとしても、その感情についての考慮を強制する
NVC的なコミュニケーションをするために必要な同意の手順が非現実的
たとえお互いに非常に近い人の間であっても、NVC が唯一許可される対話の種類であるわけではない。そして、人々にそれを強制することがいつも善いことであると言えない。
感情的な親密さには同意が必要であるはずなのに、その手順にNVCは注意を払わない まるで性行為の強要よう
白人のNVC擁護者は、有色人種に対して親密的な感情を開示してくれるであろうことを期待するが、これは人種差別的であり、精神的な虐待行為。 NVCを用いる人々は共感を利用して境界を破る。
彼らは「そのことについては話したくない」ということをOKの答えとは考えない。
彼らは無理な追及を続け、相手は感情的な洞察力に欠けており、自分の感情についての親密な情報を共有したくない場合は、正直なコミュニケーションに興味がないことをほのめかす。それは親密さの強制であり、善い行いではない。
誰かの話を聞いたり、正直に会話したりするために、感情的に親密になる必要はない。境界線があるのが普通。
(...)
私たちが偶然出会って
互いを見つけ出したら素敵なこと
そしてそうでなくとも、
それもまた素敵なことだ