デジタル倫理
あるいは情報倫理
フロリディ
ここでいう「倫理」とは
日常会話でしばしば用いられる「倫理的だ/倫理的でない」といったような素朴な道徳判断ではない。
倫理理論(規範倫理)としての倫理。
ある行為や状態がなぜ「善い」とか「正しい」とかと言えるのかを理論的に探究する学問。
さらには、そもそも「善」や「正」とは何か? どこから人はそれを得るのか? といったメタ倫理の視座も必要になるだろう。
例えば改善という言葉。
オイコス oikos の善は、共有は比較的容易。
企業ならば、効率、利益、株主価値向上など。
トヨタ生産方式の「カイゼン」も成立する道理。
公共の善は多元的。
単一ではない。
ある集団にとっての「善」が、別の集団にとってはそうでないことも少なくない。
経済、企業、家などの「善」を、安易に公共へは適用できないということ。
デジタル技術における倫理を考える上で、この区別は極めて重要。
近年では、たとえば企業においては、CSRやガバナンスを通じて、公的な「善」とは何かが問われるようになってきている。
小文字の組織開発では、このような公と私の境界線上にあるような「善」が、ダイアログの起点の1つ。
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