赦し:Pardon(7)
------------------------------------
*
‥‥木立の切れ目から崩れかけた小屋が見える。雲が月を覆ってあたりはぼんやりと暗い。ルーピンは踏みならされた小径を通って小屋に近づいてゆく。
古いテーブルが入口を塞いでいる。その上に水筒が置かれている。月が隠れているので、奥の壁はよく見えない。だが人の気配を彼はとらえる。
「誰かいるのですか」
ルーピンは声をかける。
「来るな」
低くしわがれた声がうなる。「早く逃げろ」
ルーピンは廃屋に足を踏み入れる。
雲が切れた。破れた窓からさしこむ月光が壁の下にうずくまる男を照らし出す。落ちくぼんだ目が侵入者を見上げる。その瞳は透きとおり、緑いろを帯び始める。その顔に剛毛が生え始める。
ルーピンは杖を振り上げる。自分の手の甲にも狼の毛が伸びてくるのを感じながら。爪が伸び、指は縮こまろうとし、杖を握るのが難しくなる。杖を取り落とす直前、ルーピンは叫ぶ。「月よ消えよ」
あたりはいちめんの鈍いろだ。光もなく影もないその世界でルーピンともう一人の人狼は向かい合う。
男はゆっくりと立ち上がった。まさに変身の途中にある人狼のぎごちない仕草で彼はルーピンに歩み寄った。すでに毛に覆われ、鼻面が伸びはじめているが、その顔は疲れたような中年男の容貌を残していた。手がのばされて、ルーピンの頬を撫ぜた。その感触に、ルーピンは自分もまた変身しかけていることを知った。
「君は」相手は言った。「君はあの時わたしに噛まれたのだ」
「あなたは」ルーピンは答えた。「わたしに上着をかけてゆきましたね――風邪を引かないようにと」
その遺留品が犯人を割り出す有力な手がかりとなった。
男はかすかに表情を動かした。
「わたしはわたしの苦しみに君を引き入れてしまった」彼は言った。「わたしはわたしの苦しみを持ちこたえることができなかった――すまない」
「いいえ」ルーピンは呟いた。相手の鋭い爪が撫ぜていった頬を血がつたい落ちた。だが相手の腕には深ぶかとえぐられた幾つもの傷あとがあった。
「すまないと言わなければならないのは僕のほうだ」相手の目を見ながらルーピンはささやいた。「僕が無鉄砲にもあの森を探検しようなどと考えなかったら。ただ両親を呆れさせ、心配させ、そして自分を賞賛させたいと、それだけの理由であの肝試しを思いつかなかったら、‥‥」
君がわたしに許しを乞う必要はない。男はおぼろな口調で告げた。わたしは、もう、やすらかになることができたのだから。そのまなざしは静かだった。ルーピンは目を閉じた。僕は――彼は相手に呼びかけた。僕は、そんなに苦しくはないのです。満月の狂気をおさえる薬が発明されたので。僕は狼の姿に変身しますが、誰かを傷つけることをおそれることなく、家のなかにじっとうずくまって、時が過ぎるのを待っていればよいのです。
男の口元が、かすかに微笑んだ。男は彼に手をのばし、ルーピンを抱き寄せた。彼はあらがわなかった。男の手が彼の髪をなでた。相手の愛撫を感じながら、ルーピンは、悪夢の中で繰り返し喰い殺し続けた人物は彼だったのだと悟った。
*
青白い花々や夢幻の蛾の印象は、夜半の霧のために惹起されたのかもしれなかった。鳥たちの声とともに朝が来て、静謐の最後の名残りまで掃き出していった。ルーピンは目を開けた。扉のすきまから、一条、白い光が床に落ちていた。その先にマグカップが転がっている。鍋敷の上に放り出されたままの鍋はぞっとするありさまでひからびていた。毎回、終わった後に洗わなければならないのが苦痛なのだった(スネイプなら先に洗っておけと言うだろう――だが獣に理性を求めるのは無駄な相談だ)。その鍋が、彼が狼として過ごした数日の最後の証拠だった。彼は首を振り、脱ぎ捨ててあったローブを被って立ち上がった。その時、何かが扉にあたる音がした。ルーピンは杖をつかんで戸口に近づいた。苛立たしげに唸る声が応えた。その声には勿論、聞き覚えがあった。かんぬきを抜いて戸を開け放つと、木漏れ日のなかに、熊のような黒い犬が足を踏みならして待っていた。
(了)
------------------------------------
◆"Pardon"(written by Yu Isahaya & Yayoi Makino) is a fan-fiction of J.K.Rowling's "Harry Potter"series.
◆(c)Group_Kolbitar.