薔薇寓話03
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◆November/11月
霧のためにプラハの百の塔は灰色にかすんでいる。まんじりともせずに過ごした一夜が明けそめようとする。彼はアパートの窓を開く。ひややかな空気が流れこむ。小鳥たちのするどい目覚めのけはい。下の街路に動きはじめた掃除人の姿。だが曙光はいまだ夜のこちらにあらわれぬ。
彼は窓辺から身をのりだし、世界をおおうあいまいな青に目をこらす。昨夜の結果の最初の兆候を見きわめるために。あと一時間で発車する始発列車の始動の音を彼の耳はとらえる。それから彼は別の音を聞く。近づいてくる、鳥のはばたき。
梟が彼の窓辺に一通の手紙を落として屋根屋根のうえに舞いあがる。夜目にも白い封筒の裏にはなつかしい筆跡がある。封蝋は破られていない。彼の手はあわただしく封を切り、まなざしが短い文面を確認する。彼はいまや躊躇しない。コートを着、内ポケットに手紙をおさめると、彼は鞄を手にアパートを出る。窓辺に、ひとすじ分だけ閉めわすれられたカーテンをそのままに。何も知らぬ観察者は、気楽な学生が鼻歌でも歌いながら朝食の支度をしていると思うだろう‥‥
◆
うすぐらい空港のカウンターでは、死魚の目をした係員が鈍重な手つきでチケットを渡している。意識的に下げられた瞼のあちらから、係員は相手の様子をうかがう。こちらが西側のビジネスマンか能天気な旅行者か確かめるように。彼は係員の視線を無視し、前だけを注視するふうを装いながら、監視者のありなしをさぐる。柱のかげを行きつ戻りつするのは、おそらくはチェコの秘密警察。
彼はさりげなくカウンターを離れ、出入国ゲートに向かう観光客の一群に紛れこむ。 ‥‥あの秘密警察は自分を捜していたのではないらしい。だが、この群集のうちに、ーーどちらの手の者であれーー自分を追う者がかくれていたら? 彼はコートの上から無意識に内ポケットの手紙をなぞっている自分に気づく。
わたしは知人の葬式に出席するためにイギリスへ帰国するのだ。
彼の目は滑走路のうえに佇む飛行機にそそがれる。霧のために出発が遅れているのだろうか? プラハからウィーンまで一時間のフライト。ウィーンからロンドンまでは一時間半。三時のホグワーツ特急に乗りこむためには遅滞は許されない。そしてもし、三時の列車に乗りそこね、ロンドンにとどまることになればーー彼は決して目的地にたどりつくことはないだろう。
だがその時、永遠に動かないと思われた飛行機が尻をこちらに向けて滑走路へと滑りだしていった。くぐもったアナウンスがウィーン行の搭乗開始を告げた。
◆
ーー‥‥ライプツィヒでは連日大規模なデモが繰り返されています、‥‥
(背後の喧騒ーーくりかえされるスローガンはWir sind das Volkと聞きとれる)
ーー‥‥さて、オーストリア=ハンガリー国境では‥‥
(フェードアウト)
ーー‥‥乗客の皆さまにお知らせします。当機はまもなく、定刻通りヒースロー空港に到着いたします。シートベルトをおしめ下さい。当機はまもなく、‥‥
窓の外には東海岸の平坦な大地がななめにせりあがってくる。彼は腕の時計を確かめる。定刻通り。急いではならない。何の変哲もない旅行者のように地下鉄で市内に向かい、徒歩でキングズ=クロス駅に行くこと。懸念に負けてはならない。恩師からの連絡で、わたしは急遽帰国した。
鼓膜が圧迫される。眼下に、ごみごみした茶色の市街がひろがる。九年ぶりの。
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◆"Allegory of Rose" is a fan-fiction of J.K.Rowling's "Harry Potter"series.
◆"Allegory of Rose" was written by Yu Isahaya & Yayoi Makino, illustrated by Inemuri no Yang, with advice of Yoichi Isonokami.
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