キュレーション、体系、アルゴリズム、フィルターバブル
インターネット、体系の中に入り込まずインプットできる選択肢
それまでは物理的な制約を逃れて何かを知ることは難しかったように思える。書店とか、大学とか、レコードショップとか、クラブやライブハウスとか、あるいは物知りな友人とか、そういった物理的な接触こそが知っていくための手段で、そしてそれらに触れることは強制的に(誰かがキュレーションした)なんらかの体系に入り込んでいくことでもあったと思う。
つまり、それまで何かを知るということは常に他の情報との隣接関係の中に入り込むことだったのに対して、ハイパーリンク以降の世界では情報が物理的な制約から開放されてそれ単体で存在し、動き回れるようになった。
逆に言えば、それまでは体系の中に入り込むことが何かを知るための唯一の手段だったのに対して、今はRTで流れてきた何かとか、アルゴリズムでレコメンドされた何かとか、リンクの下に格納された情報がどこからも参照されずインターネットを動き回っていて、それを直接捕まえることで体系に入りこまずに情報を摂取することができるようになったとも言えるかもしれない。だから、そのあたりの差が体系知に対する温度差にもなっているような予感がする。
例えば、星新一も小松左京も知らないけど筒井康隆は『残像に口紅を』がTikTokでバズったので知ってるし読んでる、みたいなことがよくある話になっていて、ここまで隣接情報を飛ばして何かにアクセスできる時代は今までなかった気がするし、体系に入りこまないことと大量のインプットをすることが両立するようになった。
レコード屋、独立したキュレーションの必要性
ーー 新譜はどうやって探しているんですか?
Okadada:1番はレコード屋のサイトですね。探し方で言うと、3年前ぐらいからレコード屋のサイトをかなり見るようになりましたね。ウェブメディアとか雑誌とかのレコメンドとかセレクションでキュレーションがなされているところが少ないなと思っていて、雑誌はある程度のキュレーションが入っていると思うんですけど、ウェブメディアに関してはヒットしているものを紹介していることが多くて、ヒットしているものだったら僕とかは紹介される前にもう知っているし。となると、クセのあるレコード屋が良いんですよね。そもそもレコードって、お店からしたら仕入れないといけないから、必ず誰かのキュレーションが入っているじゃないですか。僕はもともと大阪に住んでいたからNewtone Recordsのサイトとかはずっと見ていましたし、Meditations、芽瑠璃堂、naminohana records、EBBTIDE RECORDSはよく見ていて、どこもキュレーションがされているんですよ。キュレーションがされていないと、流れを持って音楽が見れないですし、自分以外の目線で音楽をしっかり見ようと思うと、やっぱりレコード屋になるんですよ。でもSpotifyとかYouTubeとかも使うので、割と何でも見ているとは思うんですけど、敢えて明確に理由を言えるのはレコード屋のサイトの良さですね。
ーー レコード屋のサイトをかなり見るようになる前は何で探していたんですか?
Okadada:もっとTwitterとかでしたね。もちろん今でも見てますけど、友達とか昔はもっとポスト数もシェアする量も多かったですしね。音楽のことだけでなく、新しい情報をシェアしてくれる人はいるじゃないですか。そういうアカウントだけをまとめたリストを作って、常に情報だけをすぐに見れるようにはしてますね。あとはSpotifyのサジェスチョンとかも、あれはあれで便利だと思います。でもサジェスチョンの外に出るには、レコード屋みたいな独立したキュレーションをしているところを見た方が、それぞれの流れとかクセがあるから、ぼんやり見ているよりは全然分かりやすいと思いますし、これはDJにも同じことが言えると思うんですけど、その人の目線から紹介されないと、好きになれない曲とか理解できない曲とかあると思うんですよ。そう思うと、クセのある個人がキュレーションしているところを見た方が早いんですよね。そういうことを求めないなら、もうYouTubeとかSpotifyのアルゴリズムに従った方が良いし、こっちもアルゴリズムを利用して、「そうそう、こういうの聴きたかったんだよな~」みたいなことをしてもらう方が良いですよね。僕は「こういうのが聴きたかった!」っていうのをレコード屋のサイトで見つけるのも、両方あるのが良い人なので、結局どっちも使いますけど(笑)。
kiite cafe
現実的には自分はレコード屋にはいかないだろうし、時間的・物理的・金銭的障壁がある
それに対してkiite cafeはアクセスするだけで・四六時中・気軽に覗きに行ける
ほとんどの曲がだれかのイチオシかプレイリストやスキから選ばれて流れるため、常に独立したキュレーションを浴びれる
これの凄いところはそのキュレーションが不特定多数の中の個人、言ってしまえばただのいちユーザーから向けられてること、向けられ得ること
今こそ、かつての「ぴあ」や「シティロード」のような情報誌が欲しい。1冊で1カ月間の映画、美術、演劇、コンサートなどのデータが手に入る雑誌。ネットはただだけれど、「映画のついでに演劇の情報も見てみるか」的なことができない。関心が別ジャンルに広がっていきにくい。
ぴあ、シティーロードなどが、ネット情報と決定的に違う所は、例えば、ページを開いて一度に目に入ってくる情報量が桁違いという事だと思う。そしてその情報のジャンルの幅広さ。予期せず情報誌で目にとまって広がった見聞のいかに多かった事か。多分それはネットサーフィンでは得られない。
本当にそう
あ、いまこんなのもかかってるんだ!という頭の片隅に入るの大事だったな