淡海
「鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 漕来船 辺附而 漕来船 奥津加伊 痛勿波祢曾 辺津加伊 痛莫波祢曾 若草乃 嬬之念鳥立」とあり、おや、と思った。琵琶湖に千鳥はいるかも知れないが、鯨は絶対にいない。解説を見ると、「いさなとり」鯨を捕る意で「海」に掛かる枕詞。琵琶湖を広大な海に見立てて用いたのであろう、とあった。とても納得などできない。「あふみ」と「ちどり」そして「いさなとり」が歌われている万葉集のすべての歌の原文をコピーして比較した。比較するにあたって、歌本文のみとして、題や歌の前文や後文(左注)はあえて無視することにした。~淡海乃海、淡海之海、淡海海は琵琶湖ではないのではないかと思う。理由は鯨魚取、奥津、辺津、夕浪千鳥、波恐登、風守、奥白浪、奥嶋山、沈白玉等の語句が、湖より海を指しているように見えるからである。~近江の海、近江海は琵琶湖であると言い切れない面がある。それは、八十嶋、八十之湊、泊八十があり、琵琶湖には竹生島など数える程しか島がないこと、湊も多過ぎるからである。~そして「いさなとり」であるが、~淡海乃海が琵琶湖であれば、作者は鯨ではなく、勇魚、不知魚、伊佐魚のどれかにするように思う。琵琶湖には鯉より大きい魚はいない。だから、琵琶湖ではなく海とみる。この様に、万葉集「あふみ」「ちどり」「いさなとり」の歌を勝手分類して勝手解釈すると、結論として、淡海乃海は琵琶湖ではない。~では、淡海乃海とはどこか。~いずれにしても、北九州内の海とみる。~なお、琵琶湖のことを昔「にほのうみ」と呼んだらしいこと。にほ(鳰)とは、かいつぶりのこと。今もこの鳥、琵琶湖で多く見かける。~「いさなとり」には、鯨取魚、勇魚取、不知魚取、伊佐魚取の文字があてられている。いずれも海にかかわりがあり、琵琶湖や湖とは関係なさそうである。~鯨魚取,淡海乃海が琵琶湖だとすれば、作者は勇魚,不知魚もしくは伊佐魚としそうなもので、鯨魚はおかしい。~従って、鯨魚取、淡海乃海は琵琶湖でなく、海とみる。 万葉学者は、ここだけ「鯨魚(いなさ)取り」は枕詞だから、これは関係ない。そのように逃げていた。しかし他の枕詞の「鯨魚(いなさ)取り」は、すべて海の歌です。ですから「鯨魚(いなさ)取り」の歌は、すべて海の歌と考えるのが筋です。~要するに、「淡海乃海」は文字どおり海である。琵琶湖ではありません。~鯨が捕れるところである。
『記』では「淡海の多賀」と記載される。~琵琶湖以外の別の「淡海」ではないか。~直方市付近からはマッコウクジラやシジミなどの貝塚遺跡が出土し、古くは海水の流入する入り江であった。『万』巻二・一五三「鯨魚取り淡海の海を」のように鯨魚、すなわちクジラがとれる淡海という枕詞と被枕詞の関係や成立について琵琶湖では理解できないが、直方市付近であれば納得されよう。玄海灘では追込漁法の鯨取りが行われていた。琵琶湖へ流入する最大河川の野洲川は高天の原の安の河(安川)を反映し、氏族の移動によってもたらされた地名のように見られる~滋賀県の多賀大社も、北部九州から遷座したものではないだろうか"