廃寺
https://gyazo.com/c45b0209121a49ea33ced3d49d891ea9
廃寺の時期は、天武天皇7年(679年)に発生した筑紫大地震の後の7世紀末から始まっている。この廃寺跡からは、木材の一片も出土されない。出土されているのは、礎石と瓦である。木造建築は移築出来るので、木材のみ大和の地へ運んで寺院を再建した。 ~奈良時代(律令時代)は、仏教を国の教えとしたにも関わらず豊国・筑紫の土地には廃寺が多すぎる。それは奈良・京都・大阪にお寺が無かったので、こちらのお寺を解体して木材のみ運んで組み立て直してお寺を造り即興で都を建設したからである。瓦と礎石は重たいので残していったから、廃寺が終わった時期が判るように8世紀から約100年位にかけて、大移動があった。 物部世真古.icon 廃寺跡だけ青丸で囲んでみた(※豊前国府跡の所にも間違えて青丸付けてしまってます…)。物部氏分布のエリアの特異性がわかりやすくなる。なぜ、仏教が国の教えとなる時期に、福岡には廃寺がこんなにも多くあるのだろう? https://gyazo.com/561d066aca16283aaaab2a0f8dafa7c8