継体天皇
継体天皇
廿七年 元年丁亥 五十八即位 八十二。
応神天皇五世の孫、彦主人王の御子也。母振媛。いくめの御門の七世の孫のむすめ也。活目の御門とは垂仁天皇也。応神五世の孫者応神・隼総皇子・男太迹王・私斐王・彦主人王・継体天皇已上如此。但私斐王は異説歟云云。五世ととる事は、応神を如て数る歟。除之歟。神功皇后をも開化天皇の五世孫云々。其は一定開化を加て定也。若然ば私斐王僻説歟。慥可検知之。
大和国磐余玉穂宮。山城国(へ)遷都云々。依而猶遷都大和国云々。
此時百済国より五経博士を奉る。
武烈の後王胤絶了。越前国より此君を迎取まいらせたり。郡臣の沙汰也。粗委記下。
后九人。御子廿一人。男九人。女十二人。
大臣巨勢男(こせをひと)大臣。武内子。天皇廿年九月薨。
大連大伴金村連。
物部麁鹿火大連。