綏靖天皇
綏靖天皇
卅三年元年庚辰(かのえたつ)五十二践祚御年八十四。
神武第三子。神武四十二年正月甲寅(きのえとら)日東宮と為す。十九。母たヽら五十鈴姫(いすず)。ことしろぬしの神むすめ也。神武天皇うせ給て四年といふに即位。大和国葛木高岡宮。后一人。皇子一人。
神武に三人の御子をわしましけり。第一の御子は手研耳命(てぎしみみ)。第二は神八井耳命(かむやいみみ)。第三は東宮、綏靖天皇也。神武天皇崩御後、諒闇之間、太郎の御子に世の事を申付給けるに、此太郎の御子おとヽ二人にたちまちに害心をおこし給ふ。此心を天皇(=東宮)しろしめして、中御子に射殺し給ふ可き由をすヽめ給ふに、弓箭をとりながら其手ふるひて射る事をえず。其時この東宮その弓箭をとりてあやまたず射ころし給ひけり。其後中の御子はわが〔受禅の〕此器量耐えざる事をのべ給ふ。東宮は「兄なれば」と申されける。かく互ひに譲りて四年が間(あいだ)即位なし。四年といふにつゐに兄のすヽめによりて此天皇位につかせ給にけり。
此事を思ふに、一切の事はかくはじめにめでたくあらはしおかるヽなるべし。兄を殺すは悪に似たれども、わが位につかん料(りょう=ため)に射ころし給ふにはあらず。大方の悪を対治(=退治)被(ら)れん心也。さて残り給ふ兄をまた猶位につき給へとすヽめ玉ふ。これを思ふに只道理を詮(せん=肝心)とせり。父王此器量をはかりて、第三の皇子を東宮にたて給ひけり。
此はじめ〔に〕て後を顧(かえりみる)に、仁徳と宇治太子との例は、此中の御子と東宮との正道の御心にて互ひにゆづり給ふ事をあらはす也。終に兄に論じまけて即位令め給ふ事は、仁賢・顕宗(けんぞう)のよろしきに随て、人のはからひにしたがひ給し例也。兄の太郎の御子を射ころし給しは、すべて悪をしりぞけて善に帰する〔心〕也。聖徳太子の時、崇峻天皇もころされ、天武には又大友皇子もうたれ給ひ、此例は下ざまヽでも多かり。一番にみなの事をしめさるヽ也。