神皇正統記_【親房の見る後醍醐の誤りとは?】
from 愚管抄と神皇正統記
神皇正統記_【親房の見る後醍醐の誤りとは?】
☆後醍醐天皇は伝統的な政治形態を無視して独走したこと
①独裁(公家武家を自己一身に掌握する) 「朕の新儀は未来の先例」
②行賞を誤った
③大胆な人材登用(=伝統的な身分秩序を無)家柄と出自
公家:政治を行う
武家:そのもとで軍事に限って奉公すべき
その違いを無視して両者を同じように並び用いるのは、そもそも誤り。そこに政治の混乱が起こるのは当然!
*天皇を神聖視絶対視するものではない
(大日本者神国他 ←単なる神国思想ではない)
*後醍醐新政=独裁には厳しく批判的
*摂関政治が望ましい。
*院政否定=天皇親政をよしとする
(白河帝の条)此御時より院宣(ゐんぜん)・庁御下文(ちやうのおんくだしぶみ)をおもくせられしによりて在位の君又位にそなはり給へるばかりなり。世の末になれるすがたなるべきにや。
→この時からそれより院宣・庁御下文の方を重用するようになり在位の天皇はただそのくらいにあるだけとなってしまったのである。これこそ乱世のもとというべきであろう
①官符:太政官がその命令系統に属する役所に下す公的文書
②宣旨:太政官の左右弁官から下文の形で発せられる「官宣旨」
*だんだん①→②へと代わっていく
③庁御下文:院庁が院の意を受けて発行。天皇の官宣旨に対応する公的文書
④院宣:元来、院の私的な意思を伝達する文書(天皇の綸旨に対応する)。書状形式の文書がしだいに公的な色彩をおびる一般的な傾向と共に、院宣もその色彩を強める。
*後醍醐のように天皇自ら独裁型の執政を強行するものではない。天皇のもと、人臣がこれを助けて政道をおこなうことが最も望ましい姿。摂関家中心。
我国は神代よりの誓(ちかひ)にて、君は天照太神の御すゑ国をたもち、臣は天児屋(あめのこやね)の御流君(きみ)をたすけ奉るべき器(うつは)となれり。源氏はあらたに出たる人臣なり。徳もなく、功もなく、高官にのぼりて人におごらば二(ふたはしらの)神の御とがめ有ぬべきことぞかし。
→我が国は神代からの約束事として天照大神の子孫が皇位を継ぎ、臣では天児屋命の子孫がこれを補佐する鑰となっており、藤原氏が摂関となって天皇を輔てきた。源氏は新しく生じた人臣である。徳もなく功もない者が高官にのぼり、おごり高ぶることがあれば、天照大神や天児屋命の怒りに触れぬはずがない。
*源頼朝や北条泰時の政治を高く評価し、武家が世をとったとする非難が当たらないとするのは
①不当な高位高官を求めない
②善政をもって結果的には天皇政治を輔翼する役割を果たした
義時などはいかほどもあがるべくやありけん。されど正四位下(げ)右京権大夫(うきやうのごんのだいぶ)にてやみぬ。まして泰時が世になりては子孫の末をかけてよくおきておきければにや。滅(ほろ)びしまでもつひに高官にのぼらず、上下の礼節をみだらず。
→北条義時などは彼の権勢からみて昇進は思いのままであったにもかかわらず、わずかに正四位下右京権大夫どまりであった。そのうえ、泰時が子孫の将来をよく考えてかたく戒めておいたためであろうか、北条滅亡の末に至るまで、高位高官に昇って上下の道を踏み外す者はついにあらわれなかったのである。