神皇正統記_【神器論】神器あるところ「正統」あり!
神皇正統記_【神器論】神器あるところ「正統」あり!
*後村上は12歳。君徳と言われても???
*それを解決するのが神器論
*政道に携わる帝王の常備すべき根源的な徳目。
①鏡:正直
②玉:慈悲
③剣:知恵(決断)
*ゆえに「正統」の天皇は当然神器を持たねばならない
→後醍醐が吉野に逃れるとき持ち出した→後村上へ
同十二月(おなじきしはす)にしのびて都を出(いで)まし<て、河内国に正成といひしが一族等をめしぐして芳野(よしの)にいらせ給ぬ。行宮(かりみや)をつくりてわたらせ給。もとのごとく存位の儀にてぞまし<ける。内侍所(ないしどころ)もうつらせ給(たまひ)、神璽(しんし)も御身にしたがへ給けり。
→同年十二月、天皇はひそかに京都を脱出し、正成なきあとの楠一族らを召し従えて吉野へ入り、ここに仮の御所を定めた。いったん奉られた上皇の名を捨て、もとのとおり天皇として、その象徴たる内侍所(神鏡)・神璽もその傍らにあった。まことに稀有の勝事であった。
*親房入京時、真っ先に北朝の「偽器」を接収
*矛盾。神器は安徳帝とともに西海へ。後鳥羽は神器なき即位。
法皇国(くに)の本主にて正統の位を伝(つた)へまします。皇太神宮・熱田の神あきらかにまぼり給ことなれば、天位つゝがましまさず。平氏ほろびて後、内侍所(ないしどころ)・神璽(しんし)はかへりいらせ給。宝剣はつひに海にしづみてみえず。其比ほひは昼(ひ)の御坐(ござ)の御剣(ぎよけん)を宝剣に擬(ぎ)せられたりしが、神宮の御告(つげ)にて神剣をたてまつらせ給しによりて近比までの御まぼりなりき。