神皇正統記_【歴史観】「正にかえる」のが「古今の理」!
from 愚管抄と神皇正統記
神皇正統記_【歴史観】「正にかえる」のが「古今の理」!
☆末世観をこえ起死回生の事業に向かって自らをはげます
代くだれりとて自(みづか)ら苟(いやし)むべからず。天地の始は今日を始とする理なり。
→(応神天皇)世が次第に下ったからといって、末世など自ら卑しみ疎かにすることはよくない。天地の初めは今日をはじめとするという理をこそ思うべきだ
*南朝はいま吉野の山中で苦難の事態に陥っているが、いつかはかなら元に復するという確信を歴史の中から読み取ろうとする。
人は昔をわするゝものなれど、天は道をうしなはざるなるべし。さらばなど天は正理(しやうり)のまゝにおこなはれぬと云こと、うたがはしけれど、人の善悪はみづからの果報(くわはう)也。世のやすからざるは時の災難(さいなん)なり。天道も神明もいかにともせぬことなれど邪(よこしま)なるものは久しからずしてほろび、乱(みだれ)たる世も正(しやう)にかへる、古今の理(ことわり)なり。
→人はとかく過去を忘れがちなものだが、歴史のたどってきた道を振り返れば、天は決して正理を踏み外していないことに気づくだろう。もっとも「それならばなぜ天はこの世の現実をあるべき正しい姿にしないのか」という疑問を持つ者があるかもしれない。しかし人の幸不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一事の災難とも言うべきものである。天も神もそこまでは如何ともしがたいことに属するが、悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿に帰るのである。これは昔も今も変わることなき真理である