神皇正統記_【京都奪回】失敗
神皇正統記_【京都奪回】失敗
*直義と高師直の対立…高師直、吉野を攻撃。
*吉野からさらに山奥の賀名生(あのう)へ
*師直と直義の対立激化…師直師泰兄弟、兵庫で殺される
→直義・尊氏兄弟の闘争
*直義は北朝の天皇に近寄ったが失敗。南朝に講和を申し入れる(親房60歳)
①洞院実世(とういんさねよ)は直義追討!
②親房は講和妥協! →南朝正当と武家も天皇の支配下に置くことを主張 →決裂
*尊氏が講和を申し込んできた。「元弘一統の初めにかえる」南朝政権を全面的に認める
*尊氏が東下すると、北朝の崇高天皇と皇太弟を廃し人事を一新。「公武合体の事、公家より御違変」…だましうち的違約
☆武家側の内部分裂につけ込んで、多年の念願を一挙に実現すべく、いわば外交の常識を無視していったん結んだ協定を一方的破棄、京都占領。還幸目前。悲願を果たす
*義詮は京都脱出
*親房は准三后
☆自軍の実力を顧みず暴挙を重ね、和平の好機を生かして局面の転回をはかるどころか、かえって公武一統をみずからうちこわす自殺行為
*ふたたび賀名生へ。ひとにぎりの落ち武者集団となる
*北朝の三上皇も拉致
*足利直冬(ただふゆ)が中国から京都へ。尊氏との対抗上、南朝と結び、南軍の楠木正儀(まさのり)は京都へ侵入。
*尊氏・義詮父子の入京
*親房、賀名生にて死(62歳)