皇位の運命
from 愚管抄
皇位の運命
その次に雄略天皇は安康のをとヽにて、位につきて世をおさめたまへり。次に清寧天皇は雄略の御子にてつがせ給たりけるが、皇子をゑまうけ給はで、履中天皇の御まご二人をむかえとりて子にして、あにの仁賢を東宮にたてヽ、をとヽの顕宗は皇子にておはしましけり。この二人は安康の世の乱におそれて、播磨・丹波などににげかくれておはしけるを、たづねいだしたてまつりけるが、清寧うせ給て、兄の東宮こそはつがせ給べきを、かたく辞してをとヽの顕宗にゆづり給けるあひだに、たがひにたわまずおはしましければ、いもうとの女帝を二月二位につけたてまつりてありけるが、其年の十二月にうせさせ給にければにや、つねの皇代記にもみゑず、人もいとしらぬさま也。飯豊天皇とぞ申ける。これは甲子のとしとぞしるせる。
さて次年の乙丑の歳の正月一日、顕宗天皇位につかせ給ぬ。あにの東宮なるををきて、をとヽのたヾの皇子にたてヽおはしますを、さのみたがひにゆづりてもいかヾは、群臣たちもことにすヽめ申ければ、あにの御命、臣下のはからひにしたがひて、つゐにつかせ給にけり。されどわづか二三年にて崩御ありければ、つぎに皇太子の仁賢天皇位にて、十一年にてかくれさせ給にけり。
これを思ふに、かならず位の御運をのヽヽおはしましけるに、をとヽは御命みじかく、あには御命のながければ、その運命にひかれてかくはありけるにこそ。人の命と果報とは、かならずしもつくりあはせぬ事也。末代ざまにこそつぎヽヽの職位までこのことはりはみえ侍れ。