欽明
欽明
卅二年 元年癸亥 御年六十三。
継体第三子。母皇太后手白香皇女と申。仁賢御女。
磯城島宮。
后六人。御子廿五人。男女十六人。女九人。
大臣稲目宿禰。卅一年三月薨。
大連金村麿。
物部尾輿連。
此御時百済国より始て仏経を渡せり。御門是をあがめ給ふ。此間国にあやしき病おこれり。物部大臣奏云、此国は昔より神をもて宗とす。今改て仏を敬。是によりて神いかりをなし給ふにや。是によりて仏像を難波のほり江に流しすて、立寺を焼払。然間空より火くだりて内裏をやく。海に光る物あり。日の光に過たり。人をつかはして御覧ずればくすの木海に浮べり。是を取て仏を作り給。吉野の光像是也。此天皇終りの年聖徳太子は生給へり