愚管抄_頼実の野望
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愚管抄_頼実の野望
後京極殿は、院もいみじき関白摂政かなと、よに御心にかないて、よき事したりと、ひしとをぼしめしてありけり。山の座主慈円僧正と云人ありけるは、九条殿のをとゝ也。うけられぬ事なれど、まめやかの歌よみにてありければ、摂政とをなじ身なるやうなる人にて、「必まいりあへ」と御気色もありければ、つねに候けり。院の御持僧には昔よりたぐひなくたのみをぼしめしたる人と聞へき。さて宇治にめでたき御所つくりて御幸などなりてけるが、程なくやけにけり。
摂政は主上御元服にあいて、てヽの殿の例もちかし、又昔の例共もわざとしたらんやうなれば、むすめをほくもちて、よしやすがむこになりて、いつしかまうけられたりし嫡女を、又ならぶ人もなく入内せんとて、院にも申つヽいとなませける程に、卿二位ふかく申むねありけり。大相国もとの妻の腹にをのこごはえなくて、女御代とてむすめをもちたりけるを入内の心ざしふかく、
又太政大臣にをしなされて、左大臣にかへりなりて一の上して、如父経宗ならばやと思ひけり。さて卿二位が夫にもよろこびて成にける程に、左大臣の事申けるは、大臣の下登むげにめづらしく、あるべき事ならずとおぼしめして、ゑ申ゑざりければ、この入内の事を、殿のむすめ参て後はかなふまじ、是まいりて後は、殿のむすめ参らん事は、例も道理もはヾかるまじければ、一日この本意とげばやと卿二位して殿下に申うけヽり。殿は院に申あはせられけるを、院はこの主上の御事をば、とくをろして東宮にたてヽをはします修明門院の太子を位につけまいらせた(ら)ん時、殿のむすめはまいらせよかしとおぼしめしけり。人これをしらず。申あはせられける時、いさヽかこの趣きあとのありけるやらんとぞ人は推知しける。さてさりて頼実のむすめを入内立后など思のごとくにしてけり。