愚管抄_道長の人柄
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愚管抄_道長の人柄
大方御堂御事は、たとへば唐の太宗の世ををこして、我は尭舜にひとしとまでおもはせ給たりけると申やうに、御堂は昭宣公にも大織冠までにもをとらぬほどに、正道に理の外なる御心なかりけるとみゆ。わが威光威勢といふは、さながら君の御威也。王威のすゑをうけてこそかくあれと、わたくしなくおぼしけるなり。その証拠は、万寿四年十二月四日うせさせ給ける御臨終にあらはなり。思のごとく出家して多年、九体の丈六堂法成寺の無量寿院の中堂の御前を閉眼の所にして、屏風をたてヽ脇足によりかヽりて、法衣をたヾしくしてゐながら御閉眼ありけることは、むかしもいまもかヽる臨終のためしあるべしとやは。
十二月四日なるに、十二月は神今食の神事とてきびしければ、閠朔日其の斎いみじくきびしくて、摂政関白公家同事にてあるに、法成寺の御八講とて南北に京の堅義をかれたるに、大伽藍の仏前の法会に、氏長者・関白摂政なる、かならず公卿引率して令参詣て、堅義、例講御聴聞一切にはヾからるヽ事なし。伊勢太神宮是をゆるしおぼしめすなり。これこそは人間界の中にその人の徳と云手本にて侍めれ。かヽる徳はすこしもわたくしにけがれて、為朝家不忠ならん人ありなんや。返々やんごとなきこと也。
これは一条院もあるまヽに御覧じしらせ給はで、かヽる宣命めかしきものをかきをかせ給て、とくうせさせ給にけるに、御堂に其後久しくたもちて、子孫の繁昌、臨終正念たぐひなきを、御心の中にをふかくみとほして、「いかにぞや、悪心もをこさじ。われとヾまりてかく御追福いとなむ。たかきもいやしきも御心ばへのにずもある。又いかにぞや、きかふことはすこしもいかにとおもふべきことならず」とて、まきこめて、やきあげさせ給ひけんをば、
伊勢大神宮・八幡大菩薩もあはれにまもらせ給けんとこそあらはにさとられ侍れ。さればこそ其後万寿の歳までひさしくたもちて、さる臨終をも人にはきかれさせ給へ。