愚管抄_花山天皇の出家
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愚管抄_花山天皇の出家
大入道殿このつぎめにと日比の遺恨をおぼしけめども、外祖外舅にもあらず。小野宮殿の子、九条殿の子たヾおなじことなれば、もと宿老になりて、関白ならんをかうべきやうなしとおぼしめしけるも道理にて、このときはやみにけるほどに、
花山院は十九にて為光のむすめ最愛におぼしめしける后にをくれさせ給て、かぎりなく道心をおこさせ給て、よにもあらじとおぼしめして、うちながめつヽおはしけるに、大入道殿の運のおそきことを常になげかせ給ける、二郎子にて粟田殿七日関白といはるヽ人は、その時五位蔵人・左少弁とて、時の職事なれば、ちかくみやづかひておはしけるに、「世のあぢきなく出家して仏道に入なんと思ふ」とのみ仰られけるをきヽて、おりをえたりとこそは思はれけめ。昔も今も心きヽてはかりごとある人は、我とだにこそ不可思議の事をも思よりつヽしいだすことなれ。これは君のさほどにおぼしめす御気色なれば、たがひにわかき心に、又青道心とて、その比よりこの比までも、人の心ばへは只おなじことにや。それもかヽるおりふし侍べし。この比はむげにあらぬ事也。
寛平までは上古正法のすえとおぼゆ。延喜・天暦はそのすゑ、中古のはじめにて、めでたくてしかも又けちかくもなりけり。冷泉・円融より、白川・鳥羽の院までの人の心は、たヾおなじやうにこそみゆれ。後白川御すゑよりむげになりをとりて、この十廿年はつやヽヽとあらぬことになりけるにこそ。
されば花山院青道心をこし給けんも、みなをしはからる。粟田殿の同心して申すヽめられけんもあらはなり。一定かく申されけるとはきかねども、かやうのことは道理きはまりて、そのことばをつくることは、天竺・唐土のことをこヽにて口ききたる説経師の申になれば、かの国々のことばにてはなけれども、道理の詮のたがはぬほどのことは、げにヽヽといふをこそは正説とは申ことなれば、さこそ申されけめ。恵心僧都の道心ごろにて、厳久僧都と申人ありける。その人などめされて道心発心のやうなどたづねられんには、さこそ申けめ。