愚管抄_神武から成務まで
愚管抄_神武から成務まで
神武より成務天皇までは十三代、御子の王子つがせ給へり。第十四の仲哀は景行の御むまごにてぞつがせ給ける。成務は御子おはしまさで、成務四十八年にぞ仲哀をば東宮にたて給ける。景行の御子のふた子にてむまれおはしましける次郎の御子をば日本武尊と申ける。御年卅にてしろきとりになりそらへのぼりてうせ給にけり。仲哀はその御子なり。この仲哀に后には神功皇后をぞしたまひける。この皇后は開化天皇五世のむまご息長の宿禰のむすめなり。応神天皇をはらみ給て、仲哀天皇の(御時の神の)御をしえによりて、仲哀うせ給てのち「しばしなむまれ給そ」とて、女の御身にて男のすがたをつくりて、新羅・高麗・百済の三国をばうちとり給て後に、筑紫にかへりてうみのみやの槐にとりすがりてぞ、応神天皇をばうみたてまつり給ける。
さて神功皇后、仲哀の後、応神を東宮にたてヽ、六十九年があいだ摂政して世をばおさめてうせ給て後、応神位につきて四十一年、御年は百十歳までおはしましけり。仲哀は神の御をしへにて新羅等の国をうちとらんとて、つくしにおはしましてにわかにうせ給にけり。
まづこの次第を思ひつヾくるに、最道理は十三代成務まで、継体正道のまヽにて、一向国王世を一人して輔佐なくて事かけざるべし。仲哀の御とき、国王御子なくば孫子をもちゐるべしといふ道理いできぬ。仲哀神のをしへをかうぶらせおはしましながら、其節をとげずしてにはかにうせ給にけり。これは如是のあいだ、神のをしへを信ぜさせ給はぬ事おほくて、うせ給にけりとなん。
さて皇后は女身にて王子をはらみながら、いくさの大将軍せさせ給べしやは。むまれさせ給て後また六十年まで、皇后を国主にておはしますべしやは。これはなに事もさだめなき道理(道理⑤道理が変化する道理)をやうヽヽあらはされけるなるべし。男女によらず天性の器量をさきとすべき道理、又母后のおはしまさんほど、たヾそれにまかせて御孝養あるべき道理(道理①正しい道)、これらの道理を末代の人にしらせんとてかヽる因縁は和合する也。この道理を又かくしも、さとる人なし。
次に成務のさき、景行の御時、はじめて武内大臣ををかる。これまた臣下いでくべき道理なり(道理④社会を支える基本的な道理)。武内は第八の孝元天皇のやしは子なり。