愚管抄_王法と仏法
from 愚管抄
王法と仏法
この崇峻天皇の、馬子の大臣にころされ給て、大臣すこしのとがもをこなわれず、よき事をしたるていにてさてやみたることはいかにとも、昔の人もこれをあやめさたしをくべし。いまの人も又これを心得べし。日本国には当時国王をころしまいらせたる事はおほかたなし。又あるまじとひしとさだめたるくになり。それにこの王と安康天皇とばかり也。
その安康は七歳なるままこの眉輪の王にころされ給にけるは、やがてまゆわの王もその時ころされにければいかヾわせん。その眉輪も七歳の人也。まヽこにておやのかたきなれば、道理もあざやかなり。又安康は一定あにの位につくべき東宮にておはします、ころして位につきて、わづかに中一年の程に眉輪の王のちヽをもころして眉輪の母をとりなどしちらして、あらはにどしたヽかひにて、さるふしぎもありければ、これはをぼつかなからず。
此崇峻のころされ給ふやうは、時の大臣をころさんとおぼしけるをきヽかざどりて、その大臣の国王をころしまいらせたるにてあり。それにすこしのとがもなくて、つヽらとしてあるべしやは。なかにも聖徳太子おはしますおりにて、太子はいかに、さては御さたもなくてやがて馬子とひとつ心にておはしましけるぞと、よに心えぬ事にてあるなり。さて其後かヽりければとて、これを例と思ふをもむきつやヽヽとなし。
このことをふかく案ずるに、たヾせんは仏法にて王法をばまもらんずるぞ。仏法なくては、仏法のわたりぬるうへには、王法はゑあるまじきぞといふことはりをあらはさんれうと、又物の道理には一定軽重のあるを、おもきにつきてかろきをすつるぞと、このことはりとこの二をひしとあらはかされたるにて侍なり。これをばたれがあらはすべきぞといふに、観音の化身聖徳太子のあらはさせ給べければ、かくありけることさだかに心得らるヽなり。
其故は、いみじき権者とは其人うせてのちにこそ思へ、聖徳太子いみじとは申せどん其時はたヾの人にこそ思まいらせてあるが、おさなくてさすがにおさな振舞をもしてこそはおはしますに、わずかに十六歳の御時まさしく仏法をころしける守屋をうたるヽも、おとなしき大臣の世に威勢ありて、我身たりたる馬子大臣のひとつ心にてさたせしこそ、太子のせんの御ちからにはなりにしか。仏法に帰したる大臣の手本にてこの馬子の臣は侍けりとあらはなり。この大臣を、すこしも徳もおはしまさずたヾ欽明の御子といふばかりにて位につかせ給たる国王の、この臣をころさんとせさせ給ふ時、馬子大臣仏法を信じたるちからにて、かヽる王を我がころされぬさきにうしなひたてまつりつるにて侍れば、唯このをもむき也。さらば守屋がやうに、この国の仏法を令滅給ふゆえとてかくあれかしといふべきは、それはゑさあるまじき也。仏法と王法とをひたはたのかたきになして、仏法かちぬといはん事は、かへりて仏法のためきず也。守屋等をころすことは仏法のころすにはあらず。王法のわろき臣下をうしなひ給也。王法のための宝をほろぼす故也。ものヽ道理をたつるやうはこれがまことの道理にては侍也。
つぎに世間の道理の軽重をたつるに、欽明の御子にて敏達、推古、いもうとせうとにてしかも妻后にて推古天王のおはします。いかにいもうとをば妻にはし給ひけるぞと云ことは、其比などまでは是をはヽかるべしと云事なかりけるなるべし。加様の礼義者のちざまに、ことに仏法などあらはれて後定らるヽ也。其に神功皇后の例も有。推古のやがて御即位はあるべきなり。されど用明は太子の御ちヽにてもともしかるべしとてつぎ給ぬ。されど二年にて程なし。太子かくみ給けん。そのうえは又崇峻ををさえらるべきやうなくて、またつぎ給ど、太子相しまいらせて、程あらじ、兵やくもおはしますべし、御まなこしか※※也など申されぬ。それを信じ給で、猪の子をころして、あれがやうにわがにくき者いつせんずらんと仰られぬ。この王うせ給ば、推古女帝につきて太子執政して、仏法王法守(らる)べき道理(道理③社会を支える基本的道理)のをもさが、其時にとりてひきはたらかざるべくもなき道理にてありけるなり。本闕それをころしつる事は、この馬子大臣よきことをしつるよとこそ、世の人思けめ。しらず又推古の御気色もやまじりたりけんとまで、道理のおさるヽなり。この仏法のかた王法のかたの二道の道理のかくひしとゆきあひぬれば、太子はさぞかしとてものもいはで、臣下の沙汰を御らんじけんに、この道理におちたちぬれば、さぞかしにてありけるよとゆるがず見ゆる也。そのすぢにて、其後仏法と王法と中あしき事つゆなし。かヽればとて国王をおかさんといふ心おこす人なし。ことがらは又いまヽヽしきことなれば人これをさたせず。若さたせんと思はヾ、この道理あざやかなりにて侍けるなるべしと心えぬる也。これにつきて、馬子にとがを行はれば、この災を常のさいにもてなすにならんこと本意なかるべし。
たヾをしはかるべし。父の王のしなせ給ひたるををきて、さたもせずして守屋がくびをきり、多の合戦をして人をころして、其後御さうそうなどあるべしやは。仏道をかくふたぎたれば、それをうちあけてこそをくりまいらせめとおぼしめしけん道理こそ誠に目出けれ。権者のしをかせ給こと又わろき例になるべしやは。さて世のすえにまたこれにたがはぬこといでこば、さこそは又あらんずらんめ。太子のおはしますらん世にかヽることはあるまじ。太子のおはしましながら、かヽることにてすぎにしかばこそ、それがあしき例にはならね。こヽをかく心うべき也。大方かうほどの事に、とがなどををこなはれなば、さはさることのあるべきかと世の常の因果の道理ならんこと道理かなはず。中々かヽる国王は、かくならせ給こそ道理やとてあればこそ、この世までも沙汰の外にては、あることなれ。まめやかの道理の是ほどきはまらん時は、又いまもいまも よろづはをそるべきこと也。よのすゑの国王の、我玉体にかぎりてつよヽヽしからずおはしますは、造意至極の、とがを国王にあらせじと、大神宮の御はからひの有て、かやうのことはいでこぬぞと心得べき也。